院長の趣味の部屋 ラテン語とエピソード (4)

 目次
1〜25 | 26〜50 | 51〜75 | 76〜100 | 101〜

76. タワーマンション
77. 最後通牒
78. インフラ
79. テルマエ・ロマエ(1) サーファーズ・イヤー
80. テルマエ・ロマエ(2) ローマ帝国最大の浴場の建設
81. ルビコン川を渡る
82. フォーラム
83. レトロ
84. リサイクル
85. 石鹸
86. モットー
87. コンピューター
88. パンとサーカス
89. トラベルとトラブル
90. 韻を踏む:Per angusta ad augusta.
91. ローマ帝国の土地台帳
92. ウイルス、ワクチン
93. プラセンタ
94. 受けてみたいラテン語の授業
95. ボランティア
96. 日曜日と「どんたく」
97. レストラン
98. 選挙
99. 小さい幸福論
100. ROMA⇔AMOR

76. タワーマンション


 マンションは英語の mansion からの外来語で、本来は大邸宅を意味します。英語の mansion はラテン語の manere(留まる場所) に由来します。現代の日本では、高層タワーマンションの上階などに住居を構え夜景を一望するのは、憧れの的になっています。

 当時のローマ人の住まいはどんなであったでしょうか? もちろん、身分や貧富の差などが影響して一概には言えませんが、興味ある文献を拝見しました。「古代ローマ人の24時間」と題した著者はA.アンジェラで、イタリアの自然科学者で、ニュースキャスターなどを歴任した後、多くの体験を通じて、当時のローマの早朝から深夜までの1日のあらゆる場面を想像しながら、読者と五感を駆使して見聞してゆく構成になっています。そのため大変読みやすく、イタリアでも40万部も売れたそうです。

 その著書の中で、当時の住まいに関するところを紹介しましょう。トラヤヌス帝治世下の紀元110年頃は古代ローマ帝国が最も拡大した時期で、当時のローマ人の代表的な住まいは、ラテン語でインスラ(insula)と呼ばれた集合住宅です。インスラはラテン語で、借家を意味し、それは古代ローマではプレブス(下層階級)やエクィテス(中流階級)のローマ人が住んだ大規模なアパートを指しました。建物の1階はタヴェルナや貸店舗で、上層階が住居になっています。Insula のラテン語本来の意味は「島」ですが、上から見ると周囲を通りに囲まれ互いに隔てられているため、意味の転用が起きたそうです。当時、そこに住んでいた人の数の多さから、小さい村や町を縦に積み上げたような、まさに古代の高層ビルです。アウグストゥス帝は、住居の建物の高さは21mを超えてはならないと定めていました。現代の建物に当てはめると、7階建ては上限となります。しかしその上限は必須でなかったため、構造上のもろさは避けられず、破壊することもあったようです。

 興味あることに裕福な人は、なんと、集合住宅の2階に住みたがったのです。もっと上の階の方が、プライバシーも守れるし、騒音も少なく、素晴らしい街並みを見下ろせるはずです。ところが、ローマ帝国のどこでも、最上階の借家人は貧しく、2階に住むのは裕福な人と決まっていました。現代とは真逆です。その理由は明快で、まず労力の問題で、エレベーターはなく、上階になるほど多くの階段を登らなくてはなりません。また安全上の問題もありました。建築業界では投資家の手中にあり、上に行くほど構造がもろくなり、崩壊のリスクが増し、さらに火鉢やランプが良く用いられていたため、火災も極めて多く、下の人は逃げられるが、上の階の借家人はそうはいきません。

 このような高層住宅の「縦割り」の区分は19世紀まで続き、現代では地区毎に見られる社会階層別の住み分けが、当時は建物の階毎に見られていました。いずれにしても、高層住宅でありながら、現代とは真逆の価値に、なるほどと感じています。

付記:ちなみに、医学領域で「島」といえば、まず思い起こされるのは、膵臓にあるインスリンやグルカゴンなどを産生する膵臓の細胞塊で、発見者に因んで「ランゲルハンス島」と呼ばれています。ランゲルハンス島が分泌するホルモンが不足すると糖尿病を起こすことが突き止められ、その名は「島」を示すラテン語(insula)から「インスリン」と名付けられています。

出典
A.アンジェラ:「古代ローマ人の24時間」p.107-p.110 河出文庫


77. 最後通牒


 ローマの元老院は、覇権国の時代から続く由緒ある組織です。当初はその名の通り氏族や部族の長老たちから成り、王に対して助言する機関でしたが、共和政が確立されると、国政の中心を担うようになりました。しかし、ローマが覇権を打ち立てるにつれて、「元老院体制」とも言うべき統治システムに綻びが生じるようになりました。大国ゆえに得られる権利を元老院が独占するという構図が露わになったのです。これに対し、平民階級を代表する護民官という立場から疑義を呈したのがクラックス兄弟でした。とりわけ弟ガイノスは、ローマ市民権を属州民にまで拡大するという急進的改革を試み、元老院との対立を先鋭化させました。紀元前121年、ローマ市内では両者の対立により暴動が起こり、元老院派に死者が出る事態となりました。執行官オピミウムは法案の検討のため元老院を招集。建物の前に、昨日殺されたアンティリウスの遺体が置かれていました。元老院議員らはそれを囲み、口々に嘆いた。ローマ史上初めての元老院最終勧告(ラテン語:Senatum consultum ultimum、セナ―トゥス・コンスルトゥム・ウルティムム)、意訳すれば、「非常事態宣言」を発しました。反国家の行為をしたものには、施行官には、なんと裁判なしでの殺す権利が与えられたのです。

 法的には勧告の権利しか持たない元老院に、非常事態宣言を発する権利はないはずでした。ポエニ戦争中には元老院勧告がそのまま実行力を持っていましたが、その時代でさえ、ウルティムムという最後通牒を示す言葉はありませんでした。それが加わるだけで、単なる勧告が厳戒令に変わったのです。この1回だけに留まらず、その後、共和政ローマの元老院はたびたび元老院最終勧告を決議しました。いずれも相手を国家の敵として断罪し、法手続きを踏まずに処刑を認める内容でした。紀元前100年、同77年、同63年、同49年が代表的で、とくに49年のものは、軍を率いてルビコン川を渡ろうとした有名なカエサルに対したもので(このシリーズの81を参照下さい)、発する度に元老院中心の統治体制、すなわち共和政ローマの弱点が露呈してゆきました。それを克服したのは、最後に最後通牒を出されたカエサルその人でした。

出典
塩野七生:ローマ人の物語スぺシャルガイドブック p45-47 新潮社


78. インフラ


 最近、日本でもインフラという言葉が良く用いられていますが、これはインフラストラクチャー(infrastructure)の略語です。「下の(infra)構造 (Structure)」を示す通り、本来インフラは「下」や「未満」を意味する接頭語で、「下にある」「低い」を意味するラテン語 inferus に由来し、スーパー(super、ラテン語では supra)の対義語です。例えば英語で赤外線を infrared というのは、スペクトラムで可視に赤色光に隣接する不可視光線であり、infrasonic といえば周波数が低く耳に聞こえない不可聴音のことです。

 インフラとは一般に、「社会生活条件を可能にし、持続させ、または高めるのに不可欠な商品およびサービスを提供する相互に関連するシステムの物理的構成要素」としても定義されます。つまり、インフラストラクチャーの日本語では、社会基盤、基礎基盤、経済基盤という訳語も存在するようです。

 では、古代ローマでのインフラはどうだったでしょうか。当時のインフラには、街道、橋,港、神殿、公会堂(バジリカ)、広場(フォーラム)、劇場、円形闘技場、公衆浴場、水道などが含まれています。ただしこれはハードと呼ばれるもので、ソフトなインフラには、安全保障、治安、税制に加え、医療、教育、通貨システムまでも入ってきます。ローマ人は、インフラこそが人間らしい生活を送るために必要な大事業とし、壮大なインフラを保持しており、このことは膨大な遺跡や史料によって証明されており、文化的。芸術的な価値の固さを物語っています。その背後には先見性を持った卓越したローマ人がおり、多くの逸話が伝えられています。そのうちの代表例として、紀元前4世紀のアッピウス・クラウヂディウスを紹介します。踏みしめられただけの道しかなかったローマに、なんと完全舗装道路をもたらし、街道に対する考え方を一変させた男です。

 アッピア街道(Via Appia)とは、「アッピウスの道」の意味でその年の財務官であったこの人が自ら立案、総監督となって敷設したため、この名で呼ばれるようになりました。この街道は当時の公共建造物に一貫した方針、というより哲学であった堅固、機能性、美感のすべてを備えていました。敷石には頑丈な頑丈なウェスウィウス山の火山岩(主に玄武岩)が用いられました。アッピウスは街道の平坦度を確かめるため、サンダルを脱ぎ、裸足で歩いて補正しました。また、幹線であっただけにメンテナンスには手を抜きませんでした。ちなみに、メンテナンス(meintenance)の語源は、ラテン語の manustenere の組み合わせで、「手」で「支える」というのが原義です。6世紀になって、この街道を通ったビザンチン帝国の一高官は、敷設後800年を経ても完璧な状態を保っているのに驚愕したそうです。

 インフラについて、大作「ローマ人の物語」の著者である塩野七生氏は以下のように述べ、今一度考えることを提唱しています。「先進国ならば道路も鉄道も完備しているので、われわれはインフラの重要さを忘れて暮らしていける。だが、他の国々ではそこまで期待できないので、かえってインフラの重要さを思い知らされる。水も世界中では未だに多くの人々が充分に与えられていないのが現状だ。」

出典
石井米雄:英語の語源.p.160-161, p.234-235 角川文庫
塩野七生:ローマ人の物語スぺシャルガイドブック.p.154-p.159 新潮社


79. テルマエ・ロマエ(1) サーファーズ・イヤー


 ローマ在住のヤマザキマリ作の「テルマエ・ロマエ」は、古代ローマ時代の浴場と、現代日本の風呂をテーマとした漫画作品です。入浴文化という共通のキーワードを軸に、現代日本にタイムスリップした古代ローマ人の浴場設計技師が、日本の風呂文化にカルチャーショックを覚え、大真面目なリアクションを返すことによる笑いを描いています。阿部寛氏主演で映画化もされ、話題になりました。題名の「テルマエ・ロマエ」(ラテン語:Thermae Romae)は、「ローマの浴場」という意味です。

 当時は毎日のように公衆浴場を訪れる人も多かったようですが、中には度を超す人もいて、例えばゴルデイアヌス帝は1日5回も入浴していたとされ、7−8回も入浴する習慣のある他の皇帝もいたようです。公衆浴場には、ローマのあらゆる社会階層の人達が集います。興味あることに、邸宅内に小さな浴場施設があった富裕層の人達ほど、足繁く通っていました。その理由は、人と出会い、商談を成立させ、集まってくる庇護民たちに対しても存在感をアピールできるからでした。つまり公衆浴場は多くの人の耳目が集まる社会の要ともいえる場所でした。これらの施設が当時の文化に大いに影響を与えたことになります。

 さて、入浴施設に長年通っている人たち、とくに男性で原因不明の難聴を来す人が多かったそうです。しかしその1900年も経た現在になって、遺骨を研究した人類学者によって、何とこの難聴の原因が突き止められました。それは、「サーファーズ・イヤー」という耳の病気で、長い時間、耳を冷水にさらし続けていると起こるものでした。外耳道が冷水の刺激を受けることによって骨腫が形成され、次第に外耳道を閉鎖してしまう。外耳道外骨腫として知られるこの病気は、現在でも漁師や海好きな人などが罹るものです。当時から女性の方の罹患率が低いのは、女性はほとんど冷水浴室に入らなかったためでした。

出典
A.アンジェラ:「古代ローマ人の24時間 p.404-407 河出文庫


80. テルマエ・ロマエ(2) ローマ帝国最大の浴場の建設


 公衆浴場に関する話を続けます。当時の公衆浴場の概念を変えたのは、紀元2世紀に活動した建築家ダマスカスのアポロドーロス(英:A pollodorus of Damascus)です。彼の設計による大浴場はその後、有名なカラカラ浴場も含め、ローマや帝国内に建設されるすべての皇帝の大浴場のモデルとなりました。しかし、このような巨大建築物を建設するには、ローマの中心広大な区域を更地にする必要がありました。いったいどのようにしたのでしょうか?

 実は、ネロ帝の豪奢な住居であるドムス・アウレア(Domus Aurea:黄金宮殿)が激しい火災によって著しく損傷したことが、結果的に大きな転機になったのです。アポロドーロスは上階の焼け残った部分を全て取り壊し、一階のアーチ型天井のあり広間だけを残して、浴場を建設するための「基礎」として利用したのです。それだけでは足りず、さらに広大なスペースを確保する必要がありました。そのため、公有・私有を問わず隣接の建物をすべて取り壊し、埋め立てました。その際、海抜47m以上のものはすべて切り崩し、取り払わせました。こうして315x330mという巨大な台地を形成し、その上に、気に入られたトラヤヌス帝のための浴場を建設しました。100万人以上の人口を抱える大都市の中心に、10ヘクタールもの面積の更地を整備するのは容易なことではなく、まさに奇跡といえます。

 また、現代人はある意味で多くの送り物をくれたアポロドーロスに感謝しなければなりません。それは、彼がドムス・アウレアや隣接の建物などをすべて地中に埋め立てさせたため、それらがなんと現代まで保存されていたのです。考古学者によってネロ帝の宮殿の一部が発掘されましたが、その中には、ネロが饗宴を催し、天井からバラの花びらを降らせたことで有名な「八角形の広間」も含まれています。さらに、ローマ帝国の都市が描かれたフレスコ画や、色モザイクではローマ最古の葡萄の収穫の様子が描かれたモザイク画のある部屋が新たに発見され、調査・修復作業が行われているそうです。

出典
A.アンジェラ:「古代ローマ人の24時間」 p.410-411 河出文庫


81. ルビコン川を渡る


 ラテン語では、歴史的に有名な出来事に際し、発せられた言葉が残ることが少なくありません。この表題の言葉もよく耳にします。

 ルビコン川(ラテン語: Rubico)は、共和政ローマ末期にイタリア本土と属州ガリア・キサルピナの境界になっていた川で、アリミヌム(現リミニ)の北、ラウェンナ(ラヴェンナ)との間でアドリア海に注いでいました。この時代の古代ローマにおいては、ルビコン川とアルノ川を結ぶラインがイタリア本土の北限、属州ガリア・キサルピナとの境界線の役割を果たしていました。軍団を率いてこの川を越え南下することは法により禁じられており、禁を破ればすなわち共和国に対する反逆とみなされていました。

 紀元前49年1月10日、ローマ内戦においてユリウス・カエサル(ラテン語: Iulius Caesar)が元老院の命令に背き、軍を率いてこの川を渡った故事によって知られています。この際に「賽は投げられた」(ラテン語: alea iacta est、アーレア・ヤクタ・エスト)と部隊に檄を飛ばしたことはあまりにも有名です。ルビコン川は、全長30km弱の小川で、下流域の町サヴィニャーノ・スル・ルビコーネ付近においても、川幅は狭いところで1メートル、広いところでも5メートル程度の小川です。従って、川渡り自体は困難ではなく、反逆を意味する行為として、「ルビコン川を渡る」(英: cross the Rubicon)という言葉は、その後の運命を決め後戻りのできないような重大な決断・行動をする比喩として使われています。記録では jacta est alea. と表現されています。

 ちなみに、この地域ではローマ時代以降河道の変化などが生じているため、カエサルが渡ったルビコン川を現在のどの川にあたるとみなすかについては、数世紀にわたる論争が続いています。

 日本では、「清水の舞台から飛び降りる。」ということわざがあります。しかし、これは山の斜面にせり出すように造られた清水寺の本堂から飛び降りることのたとえで、思い切って大きな決断を下すという意味で、反逆の意味はありません。

82. フォーラム


 私はかつて原発性胆汁性胆管炎 (PBC) に関心のある若手研究者にお声掛けして、「PBC若手フォーラム」という勉強会を開催していました。「公開討論会」と訳されることが多いのがこの「フォーラム」です。

 フォーラムの語源は、古代ローマ時代の「公共広場」を意味するラテン語「フォルム(forum)」とされています。公共広場では討論会が開かれることも多かったため、現在ではフォーラムという言葉は、集団での討論を行うことや討論の場を指す言葉として用いられています。本来フォーラムはその語源から、「場」を指す言葉で、集団による公開討論については、正確には「フォーラムディスカッション」という言葉を用いますが、これを略して集団討論自体を「フォーラム」と呼ぶことが多いようです。

 古代ローマの公共広場で行われていた集団討論は、一つの議題について多くの参加者同士で議論し、最終的に多数決で賛否を決める方式でした。現在でもフォーラムは、一つのテーマに対して結論を出すことを目的として開催される場合が多いようです。

 シンポジウムが特定のテーマに対する多角的な知見を得ること、つまり「意見交換の場」としての意味合いが強いのに対して、フォーラムは結論を求める場としての性格が強いようです。

 一方、シンポジウム (symposium) とは、「公開討論会」「研究討論会」「論文集」などを意味する言葉で、学会では、タイムリーなテーマを取り上げ、その道の専門家が参加することから、花形の扱いを受けます。

 シンポジウムの語源は、古代ギリシア時代の「饗宴(夕食後などに行われる酒宴のこと)」を意味するギリシア語「シュンポシオン(symposion)」とされています。プラトンの著書『饗宴』は、宴の席で列席者が順々に「愛」について論じるという形式で綴られた作品です。この作品以来、親しい雰囲気の中で行われる議論のことをシュンポシオンと呼ぶようになっていったようですが、言うまでもなく、今日の学会などのシンポジウムには酒類は出ません。

83. レトロ


 レトロという言葉は、ラテン語の retro(後ろへ)を語源とし、英語の retrospective の略とされます。すっかり日本語で通用するようになりましたが、昔を懐かしむ良い意味の懐古趣味的なニュアンスがあります。例えば、昭和レトロポップなどの懐メロ音楽、駄菓子やローカル線の廃線などのサブカルチャーなどが挙げられます。

 しかし一方で、遺跡の発掘や骨とう品など、あまり古すぎる事象や物に対しては、このレトロという表現は当たらないと思われます。

 さて、ウイルスの仲間に、「レトロウイルス」と呼ばれる1グループがあります。これは、エイズや成人T細胞白血病などを引き起こすウイルス群の総称です。レトロウイルスには,ウイルスの遺伝子であるRNAをもとにしてDNAをつくり増殖するという特徴があります。そもそも、人間や他の生物のもとになる設計図はDNAであり、それを伝えるのがRNAの役割の一つです(この働きをするRNAをメッセンジャーRNAといいます)。しかし、レトロウイルスはRNAの構造をDNAに転写(コピー)するという逆転写酵素をもつため、DNAを生成することが可能になります。

 RNAがつくったレトロウイルスDNAは、宿主(自分が寄生している生物)の細胞のDNAに安定的に組み込まれ、それが効率よく転写されて、ウイルスは増殖します。癌の原因となるレトロウイルスは、こうして宿主の細胞をウイルスの一部に変化させ、この過程で細胞の遺伝子が変化するために、癌細胞ができます。レトロウイルスの研究によって、現在では、遺伝子の変化が癌化の主要な原因であるという概念が確立されています。

出典
株式会社平凡社百科事典マイペディア「レトロウイルス」の解説


84. リサイクル


 これまで述べてきましたように、ラテン語は古代ローマ時代の言語ですが、現代にもその源流から派生した沢山の言葉が、西洋のみならず日本にも残されていて、新たな派生語が続々誕生しています。これに対し、日本語では、古代の「大和言葉」そのものや、あるいは派生した言葉はほとんど現存しません。つまり、ラテン語は、リサイクルしながら派生を繰り返しているという大きな特徴があります。

 リサイクル recycle の re はラテン語で、「再び、逆方向に」という意味を付加する接頭語で、cycle はギリシャ語由来の「輪、円環」を意味する名詞です。すなわち、英語の recycle はラテン語とギリシャ語を使った全くの新造語で、20世紀になって名詞、動詞としても使われ始めたそうです。まさに、文字通り、古い言語資源のリサイクルの良い例と小林先生は書かれています。日本語はリサイクルしにくい言語ですが、ラテン語はその正反対で、リサイクル用の資源が豊富な言語であるとも述べておられます。

出典
小林 標書 ラテン語の世界 ラテン語の増殖力 p.102-105, 中央公論新社 2006


85. 石鹸


 古代、人は水洗いや灰汁・植物で洗濯をしていましたが、紀元前3000年代のシュメール(現在のイラク)の記録粘土板に、すでに薬用としての石鹸が登場しており、塗り薬や織布の漂白洗浄に使われていたようです。紀元1世紀のプリウスの博物誌には、羊を焼いて神に供える習慣のあったサポーの丘では、したたり落ちた羊の脂と灰が雨に流され、それが川に堆積した土の中に、自然に石鹸らしきものができたと記載されているそうです(横浜国立大学 大矢教授)。

 この「不思議な土」は、汚れをよく落とし、洗濯ものが白く仕上がるとして珍重されました。石鹸=ソープ(Soap)の語源は、この「サポー(Sapo)の丘」に由来しているといわれています。宗教的儀式が思いがけずもたらした発見です。この語源も興味あるものです。

 参考として記載した番組では、ローマ時代の方法で、石鹸作りをしています。その工程をまとめますと、以下のようになります。

1. ブナ科の木を燃やした灰2.5キロを用意する。
2. 石と泥でかまどを製作。
3. 灰を水で煮込んで灰汁を取る(アルカリ液) 
4. イノシシ脂を煮立たせた灰汁に注ぎ込む。けん化反応が起こり、石鹸とグリセリンを生成する。

 図はその過程を化学式で表しています。



 ちなみに、テレビ・ラジオとも昼ドラなど主婦を対象にした連続メロドラマを、Soap Opera と言うそうで、これは、1920年代の米国のラジオ放送で主なスポンサーが石鹸会社であったことに由来するそうです。

出典
「所さんの目がテン!」『古代ローマ時代の方法で石けん作り』2020年9月27日(日) 07:00〜07:30 日本テレビ
日本石鹸洗剤工業会 石けん洗剤知識 石けん洗剤の歴史
花王 製品Q&A 【成分・働き】石けんはどんな成分からどのようにして作られるの?


86. モットー


 モットー(英語:motto)とは、広辞苑では、「行動の目標や指針とする標語、格言、座右の銘とされる」(『第六版』P.2790より引用)と記載されています。

 この言葉の由来は、元は同じ motto という綴りのイタリア語で、この語の語源とされているのが、ラテン語の muttum であるとされています。大元となった muttum は、「発声」、「声を出す」、「ブツブツとつぶやく」などの意味がある言葉で、これがイタリア語の motto になり、それが英語として、さらに日本語にもなって使用されています。日本語の場合、人生の目標や指針とは異なり、ニュアンスがもっと日常的なものとなり、「日々心掛けていること」を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。

 モットーは、やはり広辞苑では、「西洋の封建貴族が楯・紋章などに記した題銘」とありますが、現在も諸外国の旗などに用いられている紋章に、モットーが記されている場合が多いようです。例えば、ブラジルの国旗では、中央の白い帯にはポルトガル語で「Ordem e Progresso(秩序と進歩)」というモットーが書かれていて、その周りには九つの星座があしらわれています。また、このシリーズの53.国旗と国章の項で既に触れたように、スペインの国旗にも、ラテン語で「PLVS VLTRA(よりかなたへ)」というモットーが書かれています。

 さて、モットー自体の起源は、戦場における鬨(とき)に遡ります。紋章一式の中に描かれる単語や短いフレーズで、様々な言語で書かれますが、ラテン語で書かれる事が最も多いようです。紋章学において紋章の中に描かれるモットーは、通常シールドの下にあるスクロール(巻物)上に書かれるものであり、クレスト(紋章・家紋)の上に描く場合はスコットランド様式とされます。イングランドの紋章体系では、モットーは盾に描かれた紋章とともには授与されず、自由意志により採用・変更することができます。一方、スコットランドにおいては、モットーはエスカッシャンやクレストのように世襲されるものと考えられており、紋章授与や登録の際には必ず言及され、またその変更に際してもロード・リヨン・キング・オブ・アームス(スコットランドの紋章院)の再認がなければ許されず厳格なもののようです。

 モットーの多くはそれを家訓として持つ者、見る者の双方にキリスト教的な徳を奉じるように仕向ける内容となっています。例えば、チャムリー侯爵家の『Cassis tutissima virtus(善行は最良の防御)』や、カドガン伯爵家の『Qui Invidet Minor Est(嫉妬する者は二流なり)』といった家訓がこれにあたります。モットーには、古来の鬨へと繋がるもの、戦場での風景を表すもの、一族の始祖による故事や業績を想起させるもの、格言を用いたもの、などなど歴史の重みと深みを感じるものが多々あります。

 さて、これらのモットーの中に、カンティング・モットー(canting motto)と言われる一群があります。これは、言葉遊びを含むもので、例えば、オンスロー伯爵家のモットーは「Festina lente」です(図参照)。英語に直すと on-slow (「ゆっくり急げ」の意)、つまりこれはオンスローという家名を文章として解釈し、さらにラテン語に翻訳した駄洒落です。また、レッキーのヤンガー子爵家のモットー「Labentibus Junior Annis」もこの範疇に入ります。英訳すると、Younger as the years go by(「時の移ろうほどに若く」の意味)となり、これもヤンガーという家名をもじった家訓となっています。また、英語ながら、アメリカ連邦捜査局のモットー『Fidelity, Bravery, Integrity(信義、勇気、誠実)』も略称「FBI」のバクロニム(ある単語の各文字を使って、新たに頭字語としての意味を持たせたもの)となっています。

 モットー自体にも注目して、その由来を辿るのも、楽しい趣味の一つと思われます。

出典
「モットー」の意味とは?語源や類語、使い方を例文付きで紹介


87. コンピューター


 1946年に米国ペンシルベニア大学のJ.W.モークリーとJ.P.エッカードによって、世界初のコンピューター「ENIAC」が開発されました。NIACは論理素子として真空管をたくさん使用したもので、主に弾道計算に利用されました。それ以来、技術的進歩は著しく、今や小型化・高性能化が進み、いつでもどこでも誰もが簡単に利用できる新しいタイプの開発がすすめられています。まだ100年弱の歴史しかないコンピューターですので、当然、古代ローマ時代には存在していません。

 コンピューターは、英語 computer からの外来語。電子計算機が登場する以前は、計算する人の意味で computer(コンピューター)の語は用いられていました。計算する意味の動詞 compute の com は、「共に」を意味する接頭語。compute の pute は、ラテン語で「木の剪定(せんてい)」を意味する putare に由来するそうです。剪定するためには、枝の成長なども踏まえなければならないことから、「考える」「判断する」「計算する」といった意味を持つようになり、「総計する」「計算する」意味のラテン語 computare が生まれたそうです。それが英語に入って compute となり、名詞化して computer となったようです。

 時代がすすみ、古代には無かった新しい物や概念を表現する場合、ラテン語から借用、引用、転用した言葉は沢山あり、これらの派生語の語源を辿る過程の中で、新たな発見をすることは望外な楽しみの一つではないでしょうか。

出典
コンピューター/computer - 語源由来辞典


88. パンとサーカス


 パンとサーカス(ラテン語: panem et circenses)は、詩人ユウェナリス(西暦60年- 130年)が古代ローマ社会の世相を批判して詩篇中で使用した表現です。権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘しています。物質主義の例えとして、しばしば用いられる名言であり警句です。

 この警句のいう「サーカス」とはいわゆるサーカスではなく、古代ローマの競技場(現代でいうサーキット、レース場)で行われた、複数頭立て馬車(クアドリガなど)による競技であり、闘技場で行われた剣闘士試合などを含めたスポーツ観戦などの意味で用いられています。

 「panem et circensess」という定型句で定着していますが、これはいずれも対格形です。この日本語訳としては「パンとサーカスを」の方が近いようです。実際、下記のユウェナリスの原文では「パンとサーカス(見世物)を求める(optat)」という表現になっています。主格形にすれば、panis et circenses となります。

 地中海世界を支配したローマ帝国は、広大な属州を従えていました。それらの属州から搾取した莫大な富はローマに集積し、ローマ市民は労働から解放されていました。そして、権力者は市民を政治的無関心の状態にとどめるため、「パンとサーカス」を市民に無償で提供しました。現在の社会福祉政策をイメージさせますが、あくまでも食料の配給は市民の権利ではなく、為政者による恩寵として理解されていました。また食料の配布は公の場で行われ、受給者は受け取りの際には物乞い行為が大衆の視線に晒されるリスクを負わされていました。この配給の仕組みによって無限の受給対象者の拡大を防ぐことが出来たようです。

 食糧に関しては、穀物の無償配給が行われていたうえ、大土地所有者や政治家が、大衆の支持を獲得するためにしばしば食糧の配布を行っていました。皇帝の中にも、処刑した富裕市民の没収財産の手続きを以て広く分配したネロ帝や、実際に金貨をばら撒いたカリグラ帝の例があります。

 食糧に困らなくなったローマ市民は、次に娯楽を求めました。これに対して、権力者はキルケンセス(競馬場)、アンフィテアトルム(円形闘技場)、スタディウム(競技場)などを用意し、毎日のように競技や剣闘士試合といった見世物を開催することで市民に娯楽を提供しました。こうした娯楽の提供は当時の民衆からは支配者たるものの当然の責務と考えられるようになり、これをエヴェルジェティズム(恵与行為)と呼びます。

 パンとサーカスは社会的堕落の象徴として後世しばしば話題にされ、ローマ帝国の没落の一因とされることもあるようです。また、「パンとサーカス」に没頭して働くことを放棄した者(これらの多くは土地を所有しない無産階級のローマ市民で、プロレタリー(スペイン語版、ノルウェー語版)と呼ばれました。後の、プロレタリアートの語源で、富を求めて働く者と貧富の差が拡大したことも、ローマ社会に歪みをもたらすことになりました。

出典
パンとサーカス フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


89. トラベルとトラブル


 旅行(トラベル)のイメージは、未知の土地や人達へのワクワクするような夢や憧れを思い浮かべます。一方、「旅にはトラブルが付きもの」という表現もあり、この2つの言葉は関連するのでしょうか?

 「トラベル(Travel)」の語源を遡ってみると、古いフランス語の「トラバーユ(Travail)」という言葉からの派生でした。この意味はなんと「苦しみ」。簡単に旅ができる現在と違い、当時の旅は大変な苦労を伴うものでした。こうしたことから、英語では「旅」に派生していったそうです。なお「Travail」は、現在のフランス語では「仕事」を意味します。また現代の英語にも残っており、こちらはそのまま「苦しみ」あるいは「陣痛」という意味があります。

 さらに語源を遡ると「トリパリウム(Tripalium)」というラテン語に行き着きます。これはなんと、3つの杭で磔にする拷問器具のことです。この言葉から「こらしめる」(Tripaliare)が生まれ、やがてフランスに入り「苦しめる」(Travailler)と展開していきました。そして先ほどの「トラバーユ(Travail)」すなわち「苦しむ」が生まれ、英語では「トラベル(Travel)」となったのです。

 一方、トラブルの語源もラテン語にあり、Turbidus という言葉が由来になっています。これは「混乱」「濁る」といった意味です。つまり、トラブルはトラベルの由来というのは全くのデマで、成り立ちも全く異なっているのです。ただ、ここから派生した古いフランス語「Troubler」には苦しむという意味もあり、現代英語のトラブル自体にも苦しむという意味があります。デマではあるものの、両者は少し共通点がある言葉といえます。

 「トラベル(Travel)」と似た英語に「トリップ(Trip)」があり、他にも、旅を意味する言葉には「ツアー(Tour)」「ジャーニー(Journey)」もあります。これらの意味や使い分けについては出典に記載されていますのでご参照下さい。

 ちなみに、ジャーニーは「道のり」「道中」といった、旅の移動そのものに焦点を当てた言葉で、また長く遠い旅、帰路を含めない、といったニュアンスも含まれています。そのため、人生を長い旅路に例える場合などにはこのジャーニーが使われます。由来は「一日」という意味のラテン語です。同じ語源を持つものに「Journal」があり、日誌を意味する言葉です。

出典
トラベルの言葉の由来は?トリップとの意味の違いもご紹介! たび日和


90. 韻を踏む:Per angusta ad augusta.


 響きの良い韻を踏んでいるラテン語の格言を久々に紹介します。ペル・アングスタ・アド・アウグスタと読みます。

 per は「〜を通じて」を意味する前置詞。angusta は「狭さ、苦境」を意味する名詞、 ad は「〜へ」を意味する前置詞、augsta は「神聖な、荘厳な」を意味し、ここでは名詞として使われています。全体では、「苦境を通じ神聖なものへ」という意味です。

 前後を逆にして、Ad augusta per angusta(狭き道によって高みに)という言葉もありますが同様の意味になります。このシリーズの1のボイジャーのゴールデンレコードの項で紹介したラテン語の格言:Ad astra per aspera はこれと同義です。このような僅かの字違いでも格言にもなり、しかも耳に心地良い簡潔な響きのラテン語の奥深さは、とても魅力的です。

 この格言は、サッカーJ1チャンピオンシップの舞台パネルにも記載されたことがあります(図1)。また、ニュージーランドの grammar school のモットーにもなっています(図2)。

 これらのラテン語の意味が何も分からなければ、とくに関心も示すことはないと思われますが、意味や意図が少し分かっているだけでも、心豊かになりますね。

出典
山下太郎「ラテン語入門」


91. ローマ帝国の土地台帳


 ローマ帝国の初代皇帝であるアウグストゥス帝(紀元前63年−紀元14年)の統治下のローマは、個々の面積や境界線こそ異なるものの、現在の首都ローマの行政区と同様に、14の地区に分けられ、それぞれの地区には独自の行政機関がありました。それは、100万〜150万人もの住民の生活を一括管理することは生易しいことではなかったからです。道路の保全、給水場の整備、商人たちの境界線争いの解決、などなど行政の労力は計り知れないものでした。しかも、紙もペンもインクもなしで、すべてが施行されていたのです。ただし、行政官たちは仕事を進めるうえで、貴重な道具を用いていました。それは、現在の土地台帳に相当するフォルマ・ウルビス Forma Urbis(都市ローマの形)です。

 ローマ市に存在するあらゆる建物の平面図を地表の高さで表し、縮尺は240分の1で、平和神殿周囲やローマ浴場、インスラのほか、商店の形や面積、蛇行した道の様子や給水場の位置まで知ることができます。元々のものは幅18 m (60 ft)、高さ13 m (45 ft) あり、150個の平和神殿内部の白大理石の壁に彫られていました。今日ではいくつかの部分や破片のみ残存していますが、未だ1000を越える大理石の断片があり、元々の平面図に描かれた領域の10%程度が復元され、これらはカピトリーノ美術館に保管されているそうです。スタンフォード大学のプロジェクトでは、地図をクリックすることで断片を参照することができます。これらを調べるだけでも、ローマ帝国の日常生活がいかに豊かなものであったかが分かるようです。

出典
A.アンジェラ:「古代ローマ人の24時間」 p.326-328 河出文庫
フォルマ・ウルビス・ロマエ - Wikipedia


92. ウイルス、ワクチン


 2019年に発生した新型コロナウイルスによるパンデミックによって、世界中が大きな衝撃を受けています。このウイルス自体の研究、治療薬の開発とともに、開発された予防ワクチンの接種が推奨されています。

 ワクチンは、同じ病気に2回かからない、という現象を人工的に作り出そうという発想で誕生しました。ウイルスや細菌を何らかの方法で弱毒化、もしく無毒化したものを投与することにより、獲得免疫が誘導されます。その後、同じウイルスや細菌が侵入しても、獲得免疫がすぐに攻撃するために増殖を抑えることが出来るので、感染や発症を予防できます。しかし、多彩な副反応もみられますので、宿主側の免疫機構に及ぼす影響など、さらに詳細な研究成果が期待されます。

 「ワクチン」の語源は、ラテン語の Variolae vaccinae(牛痘)です。1798年にエドワード・ジェンナーが、牛痘を人間に接種することによって天然痘を予防できると実証したことに由来しています。

 電子顕微鏡で観察されるコロナウイルスは、直径約100nm (1nmは1mmの1/1000000の大きさ)で球形で、表面には突起が見られます。形態が王冠 crown に似ていることから、ギリシャ語で王冠を意味する corona という名前が付けられています。また、ウイルス(virus)の語源は、ラテン語の virus で病毒因子という意味であり、英語の virus は古くは動物が出す毒液も含めて用いられていました。勿論、古代ローマ時代にはウイルスという微生物の存在や概念はないので、近年に発見された新概念を表す言葉をラテン語に頼った一例と思われます。

 さて、「VIRUS」の日本語の読み方について、日本ウイルス学会のHPによれば、昔はビールスやヴィールスが普通に使われ、昭和24年に「ヴィールス談話会」が発会し、その後「日本ウイルス学会」が設立されたのは1953年のことでした。以来70年近くにわたり、ウイルスの日本語がすっかり定着しています。

出典
山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信 ワクチンとは
日本ウイルス学会ホームページ


93. プラセンタ


 プラセンタ注射などの言葉をときに耳にします。プラセンタとは「胎盤」のことで、胎盤は、妊娠期に形成される臓器で、妊娠中に母体から胎児に酸素や栄養素を届けたり、逆に、胎児赤の老廃物を母体の血液に戻したりといった、お腹の中の胎児の生命を守る大切な役割を果たしています。

 したがって胎盤自体は栄養豊富で、10数種類のアミノ酸や多種のビタミン、ミネラル、酵素をはじめ、栄養成分や成長因子が含まれています。そのため、プラセンタは古くから「薬」として活用され、その歴史は紀元前に遡るといわれています。例えば、古代中国の始皇帝や、古代エジプトの女王・クレオパトラ、マリー・アントワネットも若さを保つために、プラセンタを活用していたそうです。漢方では生薬「紫河車(しかしゃ)」として知られています。

 胎盤のラテン語は Placenta で、これは平板ケーキを意味します。形状がよく似ていますね。

出典
プラセンタ - Wikipedia


94. 受けてみたいラテン語の授業


 ラテン語は古典に属する言語で、現代ではバチカンで使用されるのみとなりました。しかし欧米の文化の基層の一部をなしているのは確かで、現代語にラテン語から派生した言葉が沢山生きづいていることをこのシリーズでも繰り返し話してきました。

 ラテン語学習では、名詞でさえも活用変化するため、文法書をみて、挫折することも多いのではと思われます。

 現代でのラテン語に対するスタンスは、欧州でも国や地域、その歴史などによって、かなりの温度差があります。例えば、パリのセーヌ川左岸、5区と6区にまたがる区域の、カルチエ・ラタン(フランス語: Quartier latin)(カルチエは「地区」、ラタンは「ラテン語」のこと) は「ラテン語地区」を意味し、学問や教会における国際共通語であったラテン語で会話したことに由来しています。パリ大学をはじめ、名門高等教育機関が集中しており、昔から学生街として有名です。1960年代、特に五月革命のときに、様々な反体制学生運動の中心地でした。

 また、ハンガリーは、ドイツ語圏から支配されていた時代に、ハンガリー語を禁じられ、ドイツ語を強制されるのに抗してラテン語を公用語にしたことがあるそうです。そのせいか、進学系のギムナジウムでは今でもラテン語必修だそうです。このような長い伝統をもつハンガリーのラテン語教育は、少し様子が違っていたことを、ハンガリー出身の航空工学者セオドア・フォン・カルマンは報告しています。彼は1881年生まれで、「航空工学の父」と称され、のちに国際宇宙航行アカデミーの初代会長をつとめた人です。彼の体験したラテン語の授業についての言をマルクス・ジョルジュ『異星人伝説―20世紀を創ったハンガリー人』から少し引用します。

 「ラテン語の授業では、文法から始めるのではなく、街を回って、銅像や教会や博物館などで使用されているラテン語の銘を模写してくるように言われた。」

 「そうして集めた句をクラスに持ちかえり、先生がどんな言葉を知っているのか尋ねたものだ。」

 「それから、先生は同じ言葉が違った形になっていることに気がついたかどうか尋ね、どうして形が違うのだろうかと疑問を発した。他の単語との関連で、異なる形をとっているからである。」

 「こうした訓練を積み重ねることで、自然にラテン語の語彙が豊富になり、ラテン語の変化における基礎的なルールを導きだすことができた。」

 歴史ある街中に散らばるラテンで刻まれたモットー、名句や格言などを集めて、初学者を拒みがちな変化形の複雑なルールを鮮やかに発見させていく教育法。環境が許せば是非参加したい授業と思います。

 因みに、私は大学一年時に、故島崎三郎教授のラテン語の授業がありました。先生はソクラテスのような哲学者の風貌で、生物(動物)学、解剖学などの権威であり、ラテン語によるリンネ著作の「動物界:鳥類編」、アリストテレス著作の「動物誌」の訳者であったことを最近知り、当時、もっと興味を持って授業を受けていればーーと後悔しています。

出典
言葉は静かに街に眠る/世界一素敵なラテン語の授業 読書猿Classic: between / beyond readers


95. ボランティア


 現在、日本でも「ボランティア」の言葉はよく耳にします。これは、1995年の阪神・淡路大震災で、全国から延べ135万人のボランティアが被災地に駆けつけ、その年を「ボランティア元年」と呼んだため、この頃から一般的に使用されました。また、2011年の東日本大震災でも102万人以上の方がボランティア活動に参加され、さらに、2021年の東京オリンピックの開催ではボランティアが募集されました。

 ボランティアについて明確な定義を行うことは難しいですが、厚労省によりますと、一般的には「自発的な意志に基づき他人や 社会に貢献する行為」をボランティア活動と称しており、活動の性格として、「自主性(主体性)」、 「社会性(連帯性)」、「無償性(無給性)」等があげられます。

 この言葉の直接の語源は、自由意志を意味するラテン語「voluntas(ウォランタス)」で、そこから、喜びや精神を意味するフランス語「volonte(ボランテ)」が生まれ、英語「volunteer」に派生しました。1898年、アメリカ合衆国で社会福祉民間活動団体「Volunteer of America」が組織され、「ボランティア」という言葉が広く使われるようになったそうです。

 英語の volunteer の語の原義は十字軍の際に「神の意思」(voluntas)に従う人を意味した志願兵になります。現在でも「ボランティアをする(人)」のほか、志願兵の意味でも使用されており、徴集兵を意味する forced drafts とは対義の関係にあります。なお、古代ローマ帝国とカルタゴが戦ったポエニ戦争の際、名将ハンニバルに大敗した古代ローマ帝国が、奴隷の身分から解放する制度を導入した際に志願した奴隷を volo(ウォロ)、複数形では voluntrii(ウォルンタリー)と呼称したそうで、ボランティアの「義勇兵」「志願兵」を意味する起源は、古代ローマ時代の「奴隷兵」に遡れます。

 英語でのボランティアには無料奉仕に限定する意味はないですが、日本のボランティア活動、とくに募集の際には、無報酬と理解される場合が多いように思われます。しかし、完全な自己負担もしくは交通費や食費や実費その他活動に必要な実経費のみを実費弁償する「無償ボランティア」、または実費弁償の範囲を超えて低額の報酬を受け取る「有償(非利益化)ボランティア」などの例もあるそうです。

出典
ボランティアについて 厚労省社会・援護局地域福祉課


96. 日曜日と「どんたく」


 ラテン語の曜日は以下のようになります。まとめておきます。日本語の曜日命名は、ラテン語のまさに直訳であることがよくわかります。

dies Lunae
 月曜日。月の女神ルーナ(Luna)の日。すなわち、月(Luna)の日。

dies Martis
 火曜日。軍神マールス(Mars)の日。すなわち、火星(Mars)の日。

dies Mercurii
 水曜日。商業神メルクリウス(Mercurius)の日。すなわち、水星(Mercurius)の日。

dies Iovis
 木曜日。最高神ユーピテル(Iuppiter)の日(IovisはIuppiterの属格)。すなわち、木星(Iuppiter)の日。

dies Veneris
 金曜日。愛の女神ウェヌス(Venus)の日。すなわち、金星(Venus)の日。

dies Saturni
 土曜日。農耕神サートゥルヌス(Saturnus)の日。すなわち、土星(Saturnus)の日。

dies Solis
 日曜日。太陽神ソール(Sol)の日。すなわち、太陽(Sol)の日。

 日曜日に関する面白い記事を発見しました。なんと、「博多どんたく」などで有名な「どんたく」とは、オランダ語で日曜日を意味する zondag の訛りだそうです。zon は太陽、dag は日を意味し英語の Sunday 同様、ラテン語名 dies solis の直訳になります。オランダ語由来の外来語は多くが江戸時代に使われ始めましたが、この語は比較的新しく、明治初期に使われ出した。まだ曜日自体が普及していなかったせいか、日曜日から転じて休日を意味するようにもなったそうです。

出典
ラテン語の曜日の名前 - ラテン語情報館
どんたく - ウィキペディア


97. レストラン


 現在の「レストラン」の始まりは、フランス革命前の1766年、フランスの豪商の息子が、パリ観光に訪れた外国人らをもてなすために考案したとされています。当時のパリおよびフランスの各都市圏では、限られた時間内に大テーブルを囲んで、一気に沢山出来上がった料理を持ち出して、大勢で食べる不衛生で簡潔な料理店の食堂でしかなく、現代のレストランとは程遠いものでした。そこで、彼は、お客が各メニューから好きな料理を選ぶ制度や、ウェイターが各々のテーブルでひとつずつ丁寧に料理を出して、優雅なひとときを楽しみながら食事し、旅人の疲れを癒せる場所にすることを提案しました。そのレストランは、外国旅行者だけではなく、会食のため訪れる人々も増加するようになり、やがて欧州やアメリカ東部地域にも普及したそうです。

「レストラン」の言葉の起源は、フランス語の Restaurant(レストーラン/レストゥラン)から来ている単語で、14世紀ごろ、中世フランス語の Restaurer(レストールル/レストゥルル)で「回復させる」の意味を由来とする説があります。これは元は英語ではなくフランス語で、現代では、世界中で最も広く使われているフランス語で、世界中どこに行っても「食堂」という意味で使って、理解される万国共通語になりました。

 さらに古代を遡れば、ラテン語の Instauro(インスタウロ)の「良好な状態にする」と同義語の Restauro(レスタウロ)や Restrare(レストラーレ)であり、「再度」「好状態にする」「回復する」といった意味を由来したのが、始まりとする説もあります。

 もうひとつは、本来レストランは「ブイヨン」のことを表わし、ブイヨンが人間を元気にしてくれるため、「回復させる」という意味の「レストラヴォヴォス」から命名して、料理を出す店をレストランと総称するようになったとも言われています。

 つまり、レストランは「回復させる」から、「元気にさせる飲食物」「滋養となる飲食物」を新たに意味するようになり、改めて英語読みとして Restaurant(ゥレスチュゥラントゥ/ゥレスチュゥレンツ)となり、さらに、「回復させる場所」を意味する「レストラン」という単語が誕生したことになります。

 日本では、安政3年(1863年)に、欧州文化の影響を濃く受けた長崎の出島に草野丈吉が「自由亭」というレストランを開業しました。これは現在のグラバー園内に遺跡がみられます。また、文久2年(1862年)に、同じく欧州文化の影響を濃く受けた神奈川県横浜市でも開業されました。また、当時の横浜市の記録上では、1862年12月にアメリカ人のチャールス・ジャージが居留地49番地で開店した『ゴールデン・ゲート・レストラン』(Golden Gate Restaurant)が第一号店といいます。これらの跡地を巡る散策も興味のあるものと思います。

出典
レストラン 日本通信百科事典 - Fandom
赤松幹之:語源を楽しむ 情報管理55(3):203-206, 2012
西洋料理発祥の碑 - 発祥の地コレクション
よこはま事始め・よくある質問「ホテルと洋食文化〈2〉」 横浜開港資料館


98. 選挙


 当時のローマ人にとって、極めて大事なものとは、res publica(公のこと)、つまり「政治」や「国家」でした。共和制ローマは大統領に相当する consul をはじめとして公職者(官吏)を市民が選ぶ、民主的な社会のようでもありますが、有力貴族が政治を牛耳る貴族制社会の色彩が濃厚です。こうした貴族は patronus(父親的な者、パトロン)として、周囲にcliensと呼ばれる市民を大勢集めました。cliens とは「郎党」「子分」です。Patronus は cliens に政治的・社会的庇護や、なにがしかの金銭的援助を与えます。見返りに cliens は朝のご機嫌伺いや外出時の同道(勢力誇示の意味でも)し、労働奉仕で応えました。

 しかし、patronus が何より欲しかったのは、毎年11月、12月、3月に行われる官吏の選挙の一票でした。それは、官職を駆け上って上級官吏ともなれば、「王者の集まり」と言われた元老院(senatus)の議員(senator)への道も開けてきますし、何より属州の総督や官吏として、巨財を築くチャンスに恵まれるため、この一票を欲しがるのは当然でした。

 反対に cliens の方は、誰が当選するかによって自分たちの一番の楽しみの、芝居や戦車競技、剣闘士競技などの「祭りの催し物」の回数や質が変わるのみでなく、日々の糧の小麦の価格にも影響しますから、選挙や政治には、決して無関心ではいられません。

 この選挙運動を、ambitio、つまり「ぐるっと(amb-) 行く(-i-) こと(-tio)」と呼びました。英語の ambition で、大志を抱いて honor を求め、一票のお願いに歩き回るのです。立候補者は candidatus と呼ばれます。英語でもこれが受け継がれて、候補のことを candidate といいますが、原義は「真っ白に装った者」です。Candidatus は、candidus(白い)から来ています(*脚注参照)が、同じ白さでも、albus(白い)は光沢のない白さを表し、candidus は輝くような「純白」を表します(albus については、このシリーズの10で記載しています)。立候補者は、純白のトガ(半円形の布で、巻き付けて身体を覆う平服)を身にまとい、「清潔ですよ」とアピールしたのですが、わざとらしいその純白さにかえって胡散臭さを感じとることも少なくなかったようです。

 事実、供応や金品による買収などの不正は日常茶飯事であったそうで、とくにターゲットにされたのが、insulaシリーズ76を参照下さい)という安アパートに住み、小麦の無料配給を受けていた、定職もない proletarius と呼ばれた人たちでした。

*脚注 本題とは無関係ですが、Candidusの派生語の1つとして、カンジダ(Candida)があります。カンジダ症とは、カンジダ属の真菌(かび)による感染症で、それに属するCandida. albicans カンジダ・アルビカンスは、ときにヒトのカンジダ症を引き起こす病原体です。元来はヒトの体表や消化管、それに女性の膣粘膜に普通に生息するもので、多くの場合は特に何の影響も与えませんが、様々な条件下での免疫不全の人、例えばHIV感染者などで病原性を示し、日和見感染の原因となります。カンジダは、白を意味するラテン語のカンジダCandidaに由来し、アルビカンスalbicans自体は、ラテン語のアルビコの現在分詞であり、白くなることを意味します。これにより、カンジダ・アルビカンスは白が白になり、トートロジー(同語反復・同義語反復)になります。

出典
大西英文:初めてのラテン語p.99-102. 講談社現代新書1997


99. 小さい幸福論


 幸福とは、生まれた時代、国や社会の体制や情勢、家族構成、職業、経済状態などなど、個人では調整、選択できない様々な背景によっても人それぞれで大きく異なります。また、目標を立て、その実現に向ける個人の努力や頑張りも必要と思いますが、その限界に直面することも少なくありません。

 ラテン語の Si vales valeo. という言葉に触れました。これは、古代ローマ時代に、日常でやり取りする手紙の書き出しなどにも使用されていた言葉で、「あなたが幸せなら私も幸せ」という意味です。山下太郎先生のラテン語入門では、Si vales, bene est; ego valeo. の格言の形で紹介され、「あなたが元気なら、それは善い事。私は元気です。」という意味で、ラテン語の手紙で「拝啓」に当たる表現と記載されています。

 手紙に使われる「拝啓」は、必ずしも特別な日のことではなく、些細な日常の喜びを表現しています。しかしながら、日常の中での喜びを自覚することは、人生の中で重要なものと思われます。勿論、ノーベル賞を摂るとか、オリンピックで金メダルを摂る、組織の長になるなど、日々の努力が実を結び、大きな成功を挙げた方々の、他の人達には想像できない達成感は大きな非日常に違いありません。

 私個人はこのような成功を得た経験はありませんが、日常の中で、たとえ小さなことでも、自分が大切にしていることや感じる喜びを、誰かと分かち合えるのが「幸せ」なのではと、最近感じています。桑田佳祐氏は、「喜びを誰かと分かち合うのが人生だ」と歌っています。

 蛇足ですが、ラテン語に限らず、多くの古代からの格言には、その時々の背景があります。時代を超えた現代では、背景や環境も大きく変化しているのは当然のことです。特に、ラテン語の格言・名句では、簡潔で韻を踏んで響きの良いものもあって、とても魅力的です。従って、当時生まれた格言や名句も、新たな時代背景の中で、新たな解釈が生まれ、新たな味わい方があって良いのではと感じています。

出典
山下太郎:ラテン語入門 Si vales, bene est; ego valeo. - (aeneis.jp)


100. ROMA⇔AMOR


 このシリーズも今回で100編目となりました。ラテン語は、現在ではローマの一角にある国家バチカンで使用されるのみですが、紀元前から古代ローマ人を中心に栄えた言語です。100編目を飾るテーマとして、この表題としました。ROMA は反対から書くと、なんと AMOR (ラテン語で「愛」) になります。これは私が気付いたのではなく、NHK BSで北川景子さん出演の「垂直トラベル in ローマ」という番組の中で取り上げられていました。彼女はイタリアの敏腕考古学者 アンナ・ガッローネ Anna Gallore さんを訪ね、数々の遺跡の発掘を通して、古代ローマ人から脈々と受け継げられた「愛」に触れたことから、この印象的な反対言葉を賞賛しています。

 現代から紀元前後の時代に遡り、当時のローマ人達がどのような営みをし、どのような考えを持っていたなど想像、空想することは時空を超えたロマンとも言えます。人達を結びつけるその底流にあるのは、ラテン語でした。このシリーズでも、現代の英語をはじめ、多くの言葉に、ラテン語の派生語が息づいていることを繰り返し述べました。現代語の中に、未だ私達が気付いていない各分野でのラテン語の派生語も沢山あると思いますし、これからも新しい概念の表現を、ラテン語から借用・転用してゆくことになりましょう。すなわち、時空を超えたロマンとは、過去のことだけではなく、未来のことも含んでいます。そう考えると、当初にラテン語で表現したことが、製作者の想像をはるかに超えたとてつもない大きなスケールになっているといえます。これを「大きな愛」と表現しても良いのではと思います。

 ラテン語のよる簡潔で印象的な多くの名句や格言も、歴史や生活環境が変わって、新たな背景の元で、新たな味わいも生まれるのではと期待しています。

 ラテン語に関する興味あるエピソードや情報などがありましたら、この機会に是非お教え下されば幸いです。

出典
NHK BS「北川景子 垂直トラベルin ローマ」初回放送:(前編) 2015年1月1日、 (後編) 同1月2日、NHK BSプレミアム