院長の趣味の部屋 ラテン語とエピソード (2)

 目次
1〜25 | 26〜50 | 51〜75 | 76〜100 | 101〜

26. Quod libet:遊び心
27. コンクラーベ
28. 身につまされるラテン語の格言
29. No.とM.O.
30. テナント
31. ダイエット
32. op.
33. オリンピック
34. 税とタクシー
35. スタミナ・マッスル・エネルギー
36. プリウスに乗って
37. ポール・マッカートニー『心の翼』
38. ジャポニカ
39. 炭酸水
40. リベラ
41. et al. について
42. 一日
43. 時計の文字盤
44. 菫色(すみれいろ)
45. 女性の名前
46. ユビキタス
47. ヘビ
48. ゴルファーへの励まし?
49. アルコール
50. 諸行無常

26. Quod libet:遊び心


 バッハに関する話をもう少し続けます。
 バッハは、小中学校の音楽室に飾られる肖像画の中で先頭に置かれ、「音楽の父」と称されています。敬虔なプロテスタントで、教会のオルガニストや宮廷楽長の仕事を長く経験し、その作品は、そのすべてではないにしても、多くが彼の信仰の告白といってよいものです。
 ノーベル平和賞受賞の医師、哲学者であるシュバイツアー博士は、オルガニストであり、一流のバッハの研究者でもありました。彼は、「バッハの作品のどんな小さな数小節にも、彼の威厳と偉大さがある。」と述べています。また、ベートーヴェンは、その巨大な存在を、「バッハは小川でなく、大海と名付けるべきであった。」(Nicht Bach! Meer solllte er heissen!) (独語)と表現しています。バッハは独語で「小川」を意味します。
 このような緻密で固いイメージが固定されていますが、作品の中で思わぬ一面が垣間見られるものがあります。それは、バッハには BWV524 という番号が付けられている Quodlibet と呼ばれる作品です。この曲は若いころ、バッハ一族の集まり、それも自身の結婚式の時にみんなで即興的に歌ったもののようです。当時の流行り歌:俗謡を取り入れて、バッハ一族の由来や自分の失敗談らしきものも歌いこんだユーモラスな曲です。このように当時の自由でユーモラスな音楽形式を Quodlibet と呼んでいたそうです。
 また、バッハの代表作の1つである「ゴルトベルク変奏曲」の第30変奏では10度のカノンでなくクォドリベットが置かれています。(勉強不足でこのあたりの異同は不明です。)
 クォドリベットはラテン語の quod libet に由来します。「好きなもの」「お好きなように」という意味があります。libet の原形 liber は英語の liberty, libera(自由、自由な)の語源でもあります。音楽用語の「アドリブ」ad lib もラテン語 ad libitum の省略形で、このlibitumも同じルーツを持ちます。
 ちなみに、ピアノ奏者グールドは、独特の解釈による一連のバッハ録音によって、クラシックピアノ界に不滅の金字塔を打ち立てた天才ですが、数々の奇行の持ち主で、「ゴルトベルク変奏曲」のCDには、演奏者の鼻歌(ハミング)が入っています。また、このシリーズの第1に、「ボイジャーのゴールデンレコード」の項で少し書きましたが、グールドのこの作品が収められており、宇宙のどこかで聞こえる日が来るかも知れません。

出典
J.S. バッハ:世俗カンタータ BWV 205/クオドリベット BWV 524 (シュトゥットガルト・バッハ・コレギウム/リリング)
アルベルト・シュバイツアー:バッハ全3巻 訳:浅井真夫、内垣啓一、杉山 好、白水社
杉浦日出夫:バッハ インヴェンジョン 心の旅 p.7 音楽之友社


27. コンクラーベ


 ローマ市内にあるバチカン市国(ラテン語: Status Civitatis Vaticana)の公用語は、現代でもラテン語です。ときにこの国の話題が世界のニュースとして取り上げられます。それは、「コンクラーベ」というローマ教皇選挙に関することで、カトリック中央協議会によれば、選挙権は80歳未満の枢機卿で、定員は120人で、会場は使徒宮殿内の、ミケランジェロの「最後の審判」で有名なシスティーナ礼拝堂とのことです。
 「コンクラーベ」という言葉は、ラテン語の com(with:共に、一緒に、の意味)と、clave(key:鍵の意味)が一つの語になっており、「鍵のかかる部屋」の意味だそうです。
  ローマ時代の雄弁家キケロは、「秘密の場所、あるいは建物の立ち入り禁止の場所」を指して「コンクラーベ」と称しています。教会では教皇選挙が行われる場所と選挙者の集団を指しています。コンクラーベという用語が教会に取り入れられたのは、1268年、イタリアのビテルボで行われた教皇選挙の時からといわれています。教皇クレメンス4世はビテルボで没し、ここでコンクラーベが行われました。イタリア派とフランス派に分かれて、3年間空位が続き、さらに、数カ月経っても合意がないので、当時のフランシスコ会の総長の勧めで、ビテルボの人たちは枢機卿たちを宮殿に閉じ込め、鍵を閉めて、外部との関係をいっさい絶たせ、食料もパンと水だけを供給し、武装した人たちで城を囲ませ、他の食事を運び込ませませんでした。その結果、1271年9月、6人の枢機卿の妥協による選挙によって、イタリア人の教皇グレゴリオ10世が選ばれました。その後、使徒座空位期間を長引かせないため、グレゴリオ10世は、教皇選挙の規則を作りました。コンクラーベで教皇が選ばれるには、投票総数の3分の2以上の得票を得ることが必要で、投票は初日午後に1回行われ、この投票で決まらなければ続く2日に、午前・午後2回ずつ行います。3日間の投票で決まらない場合は、同じような方法で選挙し、7回の投票をします。それでも決まらないと、前回の投票における上位2名の得票者について決選投票を行い、投票総数の3分の2以上の得票を得た者を当選とします。コンクラーベは教皇が選出され、被選出者が教皇となることを同意したときに終了します。まさに、「根比べ」ですね。
 ちなみに、コンクラーベでは、投票の結果が判明するたびにシスティーナ礼拝堂の煙突から煙を上げます。未決は黒、決まったときがの煙です。この映像も世界でTV放映されますが、バチカンの広報は2013年3月、白煙には塩素酸カリウムや松ヤニなど、黒煙には過塩素酸カリウムやアントラセンなどを使用していると初めて公表しています。

出典
カトリック中央協議会
石井米雄:英語の語源 p.126-127 角川文庫


28. 身につまされるラテン語の格言


 このシリーズでもラテン語の格言を何回か取り上げていましたが、今回は現代でも身につまされる内容のものをピックアップしてみます。

Qui beneficium dedit, yaceat, narret, qui accepit.(恩恵を施した者は黙っているがよい。恩恵を受けた者は語るが良い)セネカ「恩恵について」第二巻11.2
この教えは極めて当然のことですが、社会ではしばしば逆転し、恩恵をほどこした者がそれを吹聴したり、一方、恩恵を受けた方が感謝の言葉も発しないので、ごたごたすることがあるようです。Qui dedit beneficium taceat, narret qui accepit.の語順の言葉もあります。

Et semel emissum volat irrevocabile verbu.(ひとたび発せられた言葉は、取り返しがたく飛ぶ)ホラテウス 「書簡詩」第一巻18.71
Verbum semel emissum volat irrevocabile. の語順の言葉もあります。同様の内容の言葉が中国歴史上の格言にもあり、「綸言(りんげん)汗の如し」と表現されます。「漢書」劉向伝。天子、皇帝が一旦発した言葉は、出た汗が体内に戻らないように、一度口から出れば、取り消したり、訂正することができない。「綸言如汗」の四字熟語もあります。

Nescit vox missa reverti.(ひとたび発せられた言葉は戻ることができない)割と重い格言ですね。前の格言と同じ作者、同じ内容の異なった表現。ホラテウスの「詩論」(Ars Poetica) (Hor.A.P.390)古代ローマ時代。ホラティウス(BC65-BC8)はアウグストゥスと同時代に生きたラテン文学黄金期の詩人。

出典
柳沼 重剛 (編集):ギリシア・ローマ名言集 p.95-96, p.118-119, 岩波文庫
山下太郎のラテン語入門


29. No.とM.O.


 「彼の実力はナンバーワンである」とか、「彼女の実績は業界でナンバーワンである」など、ナンバーワンはすっかり日本語の会話の中に溶け込んでいます。英語ではNo.1と記載されます。
 どうしてnumberを略すとNo.になるか、一見少し不思議に感じられます。これは、英語の「number」でなく、ラテン語で数字を表す numero を略したもので、最初と最後の文字をとって、「No.」としています。ところが、面白いことに、特に英国では、「No.10」といった場合は、10番目の意味とはならないで、イギリスの首相官邸を示すそうです。これは、「No.10 Dawning Street」、つまりダウニング街10番地の略です。ロンドンの中心部、シティ・オブ・ウェストミンスターのダウニング街に位置する官邸は、300年以上の歴史があり、およそ100室を備えています。現在の建物は3階建てで、「10」とだけ書かれた玄関の扉が有名です。国有資産なので個人の表札は付けられないのですが、そもそもイギリスの家は住居番号や部屋番号だけを表示し、住人名は掲げません。建物の上層階には首相の家族のための居住スペースなどがあり、日本の総理大臣公邸よりはアメリカのホワイトハウス(官舎ではなく一家で住む)に近いスタイルと思われます。
 一方、アメリカの犯罪捜査ドラマでは、刑事や捜査官が盛んに、M.O.という言葉を使っています。これは、ラテン語の modus operandi の略で、犯行の「手口」を意味しています。字幕などに注意してみると、No.程でないにしても、良く使われていることに気が付きます。

出典
ライフサイエンス:英語おもしろ雑学 p.109、p.180 三笠書房


30. テナント


 テナントとは、オフィスビルや商業ビルと賃貸契約して入居する事務所や店舗のことを指し、「店子(たなこ)」とも呼ばれます。もともとの意味は、土地や建物の賃借人や賃借権保有者を指す言葉でしたが、一般的に賃貸ビルに入るお店などに使われています。その語源は、ラテン語 tenere(保持する) の現在分詞形 tenant から派生しています。
 興味深いことは、スポーツのテニス tennis の語源がこれらの共通する仲間であることです。テニスは、14世紀にイタリア経由で英国に紹介され、古代フランス語の tenir から派生して tennis になったそうです。
 さらに、声楽のテノール tenor も語源は tenere で、テノールは、主旋律を長く引き伸ばしたり保ったりするため、メロディを「保持する声」だからだそうです。 ちなみに、ボーカルの語源はラテン語の vocalis(音声の・発声の)で、遡れば、 vox(声)に行き着きます。

出典
石井米雄:英語の語源 .p.214-205, p132-133.角川文庫
新英和中辞典 第6版 (研究社)


31. ダイエット


 一般にダイエットとは、「体重を減らしたり、身体を細くするために実践する食事制限」という意味で使われていて、日本でもそのブームは長期にわたっています。スタンダード英語語源辞典』(大修館書店 1989)によると、英語の diet は、「(名詞)日常の食物.規定食(自動詞)規定食をとる」という意味が記されており、「13世紀には単に「食物」の意味でした。ダイエットの語源は、ラテン語の「生き方」を意味する dieta です。
 一方、もう一つの意味もあり、教会職員の審議会や国会の会合のことも diet というそうです。その語源は、ラテン語の dies(日) からきていて、中世のラテン語 dieta(一日の旅または一日の賃金)で、その元になる意味は、会合のメンバーは一日(あるいはもっと長い)旅のあとで参会したからです。やがて diet は一日の旅だけではなく、会合そのものにも使われるようになり、会合の意味でヨーロッパ中に広く受け入れられるようになりました。日本などでは Diet がまだ国会のことも意味します。なぜ、国会が Diet という英訳を採用したかについては、麻生茂「国会の英訳 Diet について」(『国立国会図書館月報』167 1975)という論文があります。これによると、「議会を意味する英語の diet は、day(日)即ち中世ラテン語の dieta、更にラテン語の dies と関連がある。他方、独語の Tag は、元来、日(day)を意味するが、これが会議、指定された日に会議するもの即ち議会(又は裁判所)を意味するように発展した。その動詞の tagen は会議をする、会議を開く意味である。英語の diet は、この独語の Tag の翻訳借用語であると。従って独語の Diat にはこの意味がない」(p.17)とあります。
 東京メトロ千代田線に、霞ケ関と赤坂の間に「国会議事堂前」駅がありますが、この英語表示をよく見ますと、「National Diet Bldg.」となっています。これは、観光庁ガイドラインの「有名詞の表記方法10のポイント」中の駅名の例にも挙げられています。いずれにしても、日常よく使われ日本語になったダイエットという言葉に、国会という全く別の意味もあることは興味深いです。

出典
レファランス協同データベース


32. op.


 べートーヴェンの交響曲は、「英雄」、「運命」、「田園」、「合唱付き」というサブタイトルの方が有名ですが、正確にはそれぞれに作品番号が決決められていて、それぞれ、op.55(1805年)、op.67(1808年)、op.68(1808年)、op.125 (1824年)になります。op.55とは作品番号55を示しています。このop.はラテン語の dopus の省略形で、「仕事」、つまり「作品」を意味します。その複数形の opera はそのままイタリア語に入って「オペラ」、すなわち「歌劇」となりました。
 作品番号(英: opus number)は、英語圏では Op.、ドイツ語、フランス語などでは op. と略されることが多いそうです。日本語では「作品○○」と呼びますが、英語風に「オーパス○○」と呼ぶこともあります。おおむね、作曲の若い順に付けられます。作曲家が自ら付ける場合もありますが、クラシック音楽の場合は、18世紀以降、出版された1冊の楽譜を単位として与えられることが一般的です。そのため、作曲順というよりも出版順となることも多く、これが、後人の混乱の元になることも多いようです。作品番号を持つ作曲家には、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、ヨハネス・ブラームス、ロベルト・シューマン、フェリックス・メンデルスゾーン、ヨハン・シュトラウス1世、ヨハン・シュトラウス2世、カミーユ・サン=サーンス、アントニン・ドヴォルザーク、ピョートル・チャイコフスキー、クロード・ドビュッシー(初期作品のみ)、イーゴリ・ストラヴィンスキー(初期作品のみ)などがいます。
 一方、作品番号がない、または欠落が多い作曲家などの場合、学術的な整理番号(作品目録番号)をそれに代えて用いることがあるそうです。例えば、ヨハン・ゼバスティアン・バッハのバッハ作品主題目録番号は Bach Werke verzeichnis で、BWV と略されます。ヘンデルのヘンデル作品主題目録番号 (HWV) 、ハイドンのホーボーケン番号 (Hob.)、モーツァルトのケッヘル番号(K. KV K6など)、ベートーヴェンの初期の作品などに付けられるWoO.(作品番号無しの意)、シューベルトのドイッチュ番号 (D)などが独自に付番されているそうです。
 Op.と語源が同じ英語の動詞のoperateは、もともと、「動く」「働く」の意味でしたが、広く、「機能する、手術する、経営する、事業を行う」も意味するようになりました。その名詞形のoperationは、手術が最も一般的で、活動や操作などを意味しますが、operationsの複数形になると、とくに、「軍事作戦」や「空港の管制室」などを意味するようになります。時代背景や社会に合わせて、「動き」もいろいろな場面で本来の意味から発展してゆくと思われます。現代では、「オペ」はといえば「手術」を意味することは一般的になっています。

出典
石井米雄:英語の語源 .p.77−78、 角川文庫
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33. オリンピック


 オリンピックを創設したピエール・ド・クーベルタン(1863-1937)は、フランスの教育者で、古代オリンピックを復興させ、近代オリンピックの基礎を築いた創設者です。歴史書のオリュンピアの祭典の記述に感銘を受け、近代オリンピックを提唱し、1896年のアテネオリンピックの開催へとつなげました。クーベルタンは、オリンピズムを世界に広く伝えるために、さまざまな工夫をしています。オリンピックムーブメントの活動と五大陸の団結を表すというオリンピックのシンボルである五輪のマークやオリンピック旗、開会式や閉会式の式典内容、オリンピック憲章などを考案、提唱しました。オリンピックのモットーとして知られる「より速く、より高く、より強く」(ラテン語で Citius-Altius- Fortius)もそのひとつで、「近代オリンピックの父」と称されています。
 さて、オリンピックや最近の他の催し物やイベント開催に際し、「ボランティア」の述語をよく聞きます。ラテン語で「意志」「意欲」 をあらわす言葉「voluntas(ウォルンタース・ウォランタス)」が、ボランティアの語源だそうです。また、英語の「volunteer(ボランティア)」を日本語にすると、「志願者」「自発的に申し出る」といった意味に訳されます。ポイントとなるワードは、「意志」「自発的」。つまり、誰かに言われたからするのではなく、自ら進んで行うことがボランティアの本来の姿です。
 「レガシー」(Legacy)という語もオリンピックに関連して良く耳にします。レガシーの意味は、「遺産」、「受け継いだもの」とされ、語源はラテン語の“LEGATUS” (ローマ教皇の特使)という。「キリスト教布教時にローマの技術・文化・知識を伝授して、特使が去ってもキリスト教と共に文化的な生活が残る」という意味、つまり宗教的なニュアンスが込められているといわれています。レガシーは、財産や資産などや、業績など成果物的なものも表します。遺言によって受け取る「遺産」という意味にも使われます。“Legacy”は、「負の遺産」(Legacy of Tragedy)という意味でも使われ、“legacy of past colonial rule”=「植民地支配の『後遺症』」とか、“legacy of the bubble economy”=「バブル経済の名残」とかマイナスの意味が込められた表現にも使用されます。レガシー(未来への遺産)は、正確には“Positive Legacy”と“Positve”を付けて使用しているそうです。
 一方、レガシーに似た言葉として、「ヘリテージ」heritage という言葉があります。「ヘリテージ」の語源はラテン語ではなく、古期フランス語 heritage(遺産)→heres(相続人)+-tas(こと)が語源で、「受け継ぐもの」がこの単語の意味とされます。inherit(受け継ぐ)と同じ語源をもつ。先祖から受け継いでいくものというような意味の遺産で,「(先祖代々に受け継がれた)遺産」などと訳されていて、お金に換算したりしない「遺産」をいう。「世界文化遺産」とか「世界自然遺産」の世界遺産は、“world Heritage”を使用し、「legacy」という言葉は使われません。

出典
田原淳子:オリンピックの願い(公益財団法人 日本オリンピック委員会)


34. 税とタクシー


 「税」を意味する英語はタックス (tax) です。これは、「触れる」という意味のラテン語 tango(タンゴー) に由来します。このtango から「評価する」という意味の taxo(タクソー)というラテン語ができ、そこから tax という英語が派生した、といわれています。自分の手で「触れること」は何かを「評価すること」につながっています。
 ところで、私たちが日常利用する交通機関の一つ、タクシー(taxi)も 税金(tax)と語源は同じだそうです。taxi はtaximeter cabの略語であり、taximeter とは「自動運賃表示器」を意味しています。つまり、taxi とは料金を「評価する(taxo)」メーターを備えた車という意味で、元のラテン語のニュアンスを今も受け継いでいることになります。
 最近、横浜や札幌などで、客席のついた自転車を運転手がこいで乗客を運ぶタクシーが登場し、これを。通称「ベロタクシー」と呼んでいます。排ガスを出さないクリーンな交通機関として注目され、道路交通法上は軽車両にあたり、歩道は走れず車道を走行します。タクシー事業の許可などは不要で、誰でも運転手になれます。ベロタクシーの大元であるベロシペードまたはベロチペード(velocipede)は、自転車の祖先にあたる乗り物で。ベロシペードはラテン語で「早足」の意。人間の力を動力とする乗り物であり、ヴィクトリア朝に登場した。現在でも"velo(ベロ)"は「自転車」を表す接頭語として使われる場合があり、ベロタクシーはその代表です。横浜の赤レンガ倉庫から中華街まで、料金は600円だそうです。

出典
山下太郎:ラテン語入門
石井米雄:英語の語源 .p.176−177、 角川文庫


35. スタミナ・マッスル・エネルギー


 長さや重さは国際単位があって数値として表示されるため、過去の自分のデータや他者とも比較できますが、元気ややる気などは数値化できず、概念的に受け止められています。スタミナ(Stamina)は、ラテン語 Stamen(縦糸) の複数形です。もともとは、ギリシア神話で、運命の女神ファーテスが紡ぐ人間の寿命のことを意味したそうです。それが英語では複数形で、古くは「自然や生命体がもつ根源的・本来的な要素」の意で用いられ、その後、「精力、耐久力」を表す言葉として定着しました。
 英語の「muscle」(マッスル)は、ラテン語の musculus(小さなネズミ) から派生しています。これは、筋収縮の様子が皮膚の中でネズミが動く様に見えた事に由来すると考えられています。Concise Oxford English Dictionaryには次のように語源の説明があります。
 some muscles being thought to be mouse-like in form
つまり「筋肉が形においてネズミにように考えられている」と説明があります。このことから、やはり人間の見方や概念が一部の言葉に反映されていることが分かり、興味深いです。
 さて、「エネルギー」という用語は、19世紀のはじめ、トマス・ヤングが1807年に著書『自然哲学講義』(英: A Course of Lectures on Natural Philosophy) の中で、従来使われていた「力」を意味するラテン語 vis の代わりとして提案されました。ギリシア語の energeia に由来し、en は前置詞、ergon は「仕事」を意味する語であるそうです。つまり、「物体内部に蓄えられた、仕事をする能力」という意味の語です。エネルギーという概念は「仕事」という概念と深い関わりがあります。その後、自然科学の説明体系が変化し、熱・光・電磁気もエネルギーを持つことが知られるようになり、さらに、質量までがエネルギーの一形態である、と理解されるようになりました。
 ものの概念の時代的な広がり、変化は、言語、とくに英語の世界にも少なからず影響を及ぼしています。また、新たな概念が生じた際には、それを示す言葉が見当たらず、ラテン語に源流を求めることもしばしばみられます。例えば、ナノ、ウイルスなどもこの中に入るでしょう。

出典
由来・語源辞典
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36. プリウスに乗って


「プリウスに乗って、りそな銀行でお金をおろして、ベネッセの隣のイオンで、アエラとSAPIOを買って、帰りにアウディとすれ違った。」ある人のある日の出来事を綴った散文ですが、この中にラテン語からの派生語はいくつあるでしょうか?
答えは7つ、プリウス、りそな、ベネッセ、イオン、AERA、SAPIO、アウディです。
 プリウスは、ラテン語 Prius(先駆け) から。りそなは、ラテン語 resona(共鳴せよ) から。ベネッセは、「良く存在すること」の意味 bene + esse の造語。イオンは、aeon(永遠) から。AERAは朝日新聞社の雑誌名で、「時代」の意味の aera から。SAPIOは小学館の雑誌名で、 sapio(私は考える) から(現在分詞はsapiens)。アウディはドイツの自動車メーカーで、「聞け」の意味の audi。創業者ホルヒ(Horch, 聞け)に因んでいます。Horchは第二次大戦中まで存続したドイツの自動車メーカーで、後のアウディ社の母体となっています。
 私達の日常の中に、ラテン語は広く浸透し、日本語として通用している語も少なくないことが分かります。電車の中の広告や新しい店の名前などなど、隠れたラテン語探しは面白いです。

37. ポール・マッカートニー『心の翼』


 ビートルズは1960年代から1970年にかけて活動したイギリス・リヴァプール出身のロックバンドで、20世紀を代表する音楽グループです。
このバンドの英語表示は、甲殻類カブト虫のBeetlesではなく、Beatlesです。これはビートbeatを意識した造語ですが、言われてみると納得できます。ビートルズとラテン語については、このシリーズの10のWhite Albumの欄で一部を紹介しましたが、ここではそれ以外のエピソードについて触れます。
 ポール・マッカートニーはクラシック・アルバム『心の翼』(原題:Ecce Cor Meum) を作曲し、フル・オーケストラと150人のコーラスにパイプ・オルガンというゴージャスな編成で完成させました。過去にもクラシック作品をリリースしているポールが8年の歳月をかけて完成させた力作は、オックスフォード大学モードリン・カレッジの創立550周年を祝うため、新しいコンサート・ホールの完成を記念して、1998年に当時の学長アントニー・スミスから作曲依頼されたものです。
 原題のラテン語 Ecce Cor Meum は「私を見守って」、「我が心を見よ」の意で、ポール本人は「善意の中にある誠実さが Ecce Cor Meum の歌詞と音楽の中にあると僕は願っている」と語っています。2001年に英国系譜紋章院から認可されたポール・マッカートニーの紋章の下部にも記されていますが、もともとこの言葉は、ポールがニューヨークでジョン・タヴナーのコンサートに出演した際、待ち時間に会場の聖イグナティウス・ロヨラ教会内をうろついているときに見かけた彫像に記されていた言葉ということです。
 誰からも愛されるヘンデルの『メサイア』のような作品をイメージして書かれたオラトリオ的な音楽で、全体を4つの楽章(魂、感謝、音楽、見よ)と間奏(哀歌)から成る作品として構想され、テキストは英語で、一部にラテン語が使用され、2001年11月にはシェルドニアン・シアターで試演を実施。そこでの結果をもとに、演奏上の問題点を解決するための楽曲改訂をおこない、最終的な形に落ち着いたそうです。
 なお、ポール・マッカートニーは、楽曲中央の Interlude(間奏) に登場するオーボエの奏でるミステリアスな哀歌について、1968年に交際し始めて以来、30年に渡って連れ添ったリンダ (1941-1998) の死への深い哀しみをあらわしたものであると述べています。

38. ジャポニカ


 「ジャポニカ (japonica)」という言葉は「日本の」という意味のラテン語で、基本的に日本産であることを指しています。ラテン語の「j」は、「i」と発音の区別がなく、「イ」と発音するため、「イアポニカ」つまり「ヤポニカ」と発音する方が近いようです。しかし、小学生の学習ノート「ジャポニカ学習帳」がよく知られており、私たちには「ジャポニカ」の方が、日常的で身近に感じます。
 ショウワノートKKは、1970年(昭和45年)に小学館発行の『ジャポニカ百科事典』とタイアップして中ページに学習百科を掲載した「ジャポニカ学習帳」を発売しました。発売当時の学習帳は1冊30円が主流でしたが、ジャポニカ学習帳は50円で発売され、表紙のロゴも金箔押し。プレミアム級の学習帳の先駆けとなり、以降、表紙に使用された写真の見事さに様々な分野で話題になっています。
 さて、植物や動物の学名にラテン語をつける習慣が定着し、命名が学会などで公認されれば、発見された新種が国際的に認められたという証になります。トキ(朱鷺、鴇、桃花鳥)は、ペリカン目トキ科トキ属に分類される鳥類。本種のみでトキ属を構成する。2019年時点の個体数は、中国が2,600羽、日本が600羽といわれています。学名は Nipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)で、日本の国鳥はキジだそうですが、しばしば「日本を象徴する鳥」と呼ばれることもあります。
 植物では、シャガ Iris japonica(イリス・ジャポニカ)、ウラジロ Gleichenia japonica(グレイケニア・ジャポニカ)、ヤマブキ Kerria japonica(ケリア・ジャポニカ)、サネカズラ Kadsura japonica(カズラ・ジャポニカ)、センブリ Swertia japonica(セルティア・ジャポニカ)などなど、Japonicaは沢山みられ、「BGPlants日本植物学名検索システム」というサイトで検索してみると、なんと1118件もあったそうです。
 ただし、産地国を間違えて表記されていることもあるようで、サツキの学名には、indicum と言う表記がありますが、れっきとした日本特産なのだそうです。また、japonica とされているのに実は中国原産で日本には野生しないなどの間違いもあるそうです。
 ところで、学名の表記の中に「nipponica」と言う部分を見受けることもあります。 この「nipponica」と「japonica」とはどのような違いがあるのでしょうか。これは、どちらも日本に産することを意味し、「nipponica」とするか「japonica」とするかは命名者にゆだねられ、どちらでもよいとのことです。例えば Nipponica が使用されている例として、キソキバナアキギリ Salvia nipponica var.kisoensisがあり、japonicaが使用されている例として、ヤマルリソウ Omphalodes japonicaがあります。
 生物学でいう学名(がくめい、ラテン語:binomen)の命名には、一定の規則があり、一つの種に対して有効な学名は一つのみでなければならないと決められています。ただし、過去に誤って何度も記載されていたり、記載後の分類の変更などによって、複数の学名が存在する場合、どの学名を有効とみなすかは研究者によって見解が異なる場合もあります。種の学名、すなわち「種名(しゅめい)」は[属名〈ぞくめい〉+ 種小名〈しゅしょうめい〉](細菌では[属名 + 種形容語〈しゅけいようご〉])で構成されます。この表し方を二名法と呼び。二名法は「分類学の父」と呼ばれるカール・フォン・リンネによって体系化されました。

出典
やのみー探検隊 ジャポニカの付く学名


39. 炭酸水


 炭酸水は今やスタンダードな飲み物として定着していますが、その歴史はとても古く、紀元前に遡ります。古代エジプトの女王クレオパトラは、宮中でぶどう酒に真珠を溶かした飲み物を作り、美と不老長寿の秘薬として愛飲したといわれています。真珠の主成分は炭酸カルシウムで、酸に溶けると反応して炭酸ガスが発生します。現在のスパークリングワインに似た飲み物だったと想像されます。
 日本での炭酸水といえばサイダーですが、これも興味深い歴史や物語があります。三ツ矢サイダーは、明治時代に宮内省が兵庫県多田村平野(現在の川西市平野)の平野鉱泉を用い、炭酸水の御料工場を建造し、1884年に「三ツ矢平野水(みつやひらのすい)」として販売しました。平野水は夏目漱石の『行人』、『思い出す事など』にも登場しており、1897年に大正天皇の皇太子時代に御料品として採用されています。当時の物品流通の事情の詳細は分かりませんが、振り返ると、田舎の駅前食堂などには、サイダーは昔から置いてあった気がします。以後、幾多の改良を重ね、キリンレモンとともに今日でも人気を博しています。
 さて、三ツ矢の名の由来として、平安時代中期、摂津源氏の祖源満仲が住吉大社の神託に従い三つ矢羽根の矢を放ち、矢の落ちた多田(現在の川西市多田)に居城(新田城、多田城)を建てた伝説があります。満仲はこの矢を探すのに功労が大きかった孫八郎という男性に、領地と「三ツ矢」の姓と三本の矢羽の紋を与えたそうです。三本の矢といえば、日本では毛利元就の教えは有名ですが、ラテン語の名句に、Concordia res parvae crescunt.(コンコルディアー・レース・パルウァエ・クレスクント)があります。小さな物も調和によって大きくなるという意味で、三本の矢の教えと共通しています。サルスティウスの『ユグルタ戦記』に見られる言葉です。サイダー(英語: Cider)はシードルともいわれ、もともとはりんごのお酒のことで、サイダーのような透明な炭酸飲料は、アメリカではソーダ(SODA)といいます。「シードル」は、りんごからつくったスパークリングワインで、語源は、「果実を醗酵させてできた酒」を意味するラテン語「シセラ(Cicera)」です。
 炭酸水といえば、1889年(明治22年)に、日本に定住していたイギリス人のクリフォード・ウィルキンソンが狩猟の途中に、兵庫県有馬郡塩瀬村生瀬(現在の兵庫県西宮市塩瀬町生瀬)で天然の炭酸鉱泉を発見したことを契機に、ウィルキンソンの炭酸水が誕生しています。あの昔から目にしている赤いブランドの起源は日本なのです。この歴史にも、とても興味が湧きます。

出典
三ツ矢豆知識のページ
山下太郎のラテン語入門


40. リベラ


 イギリスの作曲家ロバート・プライズマン(英語版)が創設・主宰し、サウスロンドンを拠点として活動している少年合唱団はリベラ(Libera)の名で知られています。正式発足は1998年。メンバーは7歳から18歳までの男子で、正確な人数や詳細は公表されていませんが、およそ40人が所属しているようです。ウィーン少年合唱団などとは異なり、低音部が存在するため、変声後も継続して活動しているメンバーも多いそうです。
 日本との繋がりとして、フィギュアスケート選手浅田真央さんが、東日本大震災後復興の願いを込めて2011年のエキシビション楽曲にリベラの「誓い〜ジュピター」(英題:I Vow To Thee My Country)を使用しています。また、震災から5年を迎える2016年、被災地への思いを表現したいと1年がかりで「ジュピター〜未来への光」を制作し、1月に盛岡市で開催されたNHK杯フィギュアスペシャルエキシビションでこのために来日した8人のリベラメンバーとライブ共演しました。
 ラテン語の liber は「社会的・政治的に制約されていない」「負債を負っていない」という意味で、英語の liberal(自由な)や liberty(自由)の語源となっています。自由主義の「liberalism」はこれに起因しています。また liberate(開放する)、liberator(解放者)、liberation(解放)も同じ語源によります。一方で、ラテン語には母音に長短の区別があり、母音が短く「書籍」を意味する liber(記述は同じ)とは別系統であり、libr-の形で英語に入ったlibrary(図書館)、librarian(図書館員)があります。
 リベラ(Libera)はローマ神話における生産と豊穣の女神です。また、江崎グリコのLIBERAは、働く女性のための機能性表示食品のチョコレートとして市販されています。

41. et al. について


 医学に限らず、英文論文を読んだり、あるいは執筆する際に、既知の知識や研究成果を十分参照、理解していることを示すため、その著者に敬意をもって引用します。参考文献リストは引用されている文献を一度に確認できるように、論文の最後に添付します。学術分野ではラテン語から来た用語が多く使用されていますが、et al.もそのうちの一つです。「et al.」は「et alii」の縮約系であり、ラテン語で「and others」を意味します。et al.は学術論文において人名を省略する際に用いられる記号で、何の抵抗もなく国際的に慣用されています。類似語に etc. がありますが、これは and the rest を意味する et cetera の縮約系で、事物を省略する場合に使用されます。
 さて、投稿規定による引用文献の表記はジャーナルにより異なります。下記の出典によれば、『The Lancet』誌では、生物の学名と、参考文献に記載されるジャーナル名のみイタリック体です。et al.やin vitroなどのラテン語は、ローマン体で表記しています。『The New England Journal of Medicine』誌は、生物の学名のみイタリック体で、et al.やジャーナル名はローマン体表記です。多くのジャーナルを出版するElsevier社では、「イタリック体は読みにくいため使用を控えること、英語以外の言語はイタリック体にすべきだが、viaやet al.のように普及したものはイタリック体にしないこと、書名や学名はイタリック体を使用すること」と規定しています。一方、『PLOS ONE』誌では、et al.はローマン体表記しながら、in vitroはイタリック体表記にするなど、ラテン語でも表記を統一していません。
 文献の引用や著者名の表記方には、APA style、Chicago styleやMLA styleなどがあるようですが、詳細は下記の出典を参照して下さい。今後は引用の際、DOI番号も表記することが推奨されると考えられます。投稿の際には、各ジャーナルの規定をよく読んで、例文や既出論文の形式を参照することも大切と思います。自身の経験では、優秀な人ほど、これ他の規定を順守しているように思われ、ドラフト原稿の段階で、既にbeautifulな形式で、研究意欲が伝わるように感じたことがありました。

出典
WORDVICE 研究者のための引用ガイド


42. 一日


 古代ローマ時代も現在も、1日が24時間であることは不変です。人生とこの限られた時間についての名言は、洋の東西を問わず、少なくありません。ここでは一日に関連するラテン語名句を紹介します。

Carpe diem. 「カルペ・ディエム」と読み、「一日(の花)を摘め」という意味になります。原語が簡潔で口調が良いため、良く原語のまま引用されています。何気なく過ぎゆく毎日を、いわば花畑の花々とみなし、花の一本一本を愛おしむように日々を愛すのがよい、という意味が込められています。ローマの詩人、ホラーティウスの詩の中の言葉です。若い男性が若い女性に向かって言う言葉で、山下先生は、これらの詩は、古代のラブソングと表現しています。

vigilate quia nescitis diem neque horam. 「目を覚ましていなさい、あなた方はその日その時間を知らないのだから」聖書のマタイによる福音書25章13節にこの一説があります。聖書から引用されたラテン語名句は少なくありません。この句は、パリのサン=ジェルマン=ロクセロワ教会の時計台の文字盤にも記されています。

festina lente. 「フェスティーナー・レンテー」と読み、「ゆっくりと急げ」の意味。ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスは、軍事的指導者が性急さを持つことを嫌ったため、この句を座右の銘としたそうです。「良い結果により早く至るためにはゆっくり行くのが良い」、または「歩みが遅すぎても求める結果は得られない」を同時に意味します。ルネサンス時代の大学者エラスムスが元のギリシャ語からラテン語に訳したことで広まり、有名になった格言であり、シェイクスピアは自作のなかで繰り返し用いています。17世紀にラ・フォンテーヌは著名な『寓話』中の「兎と亀」で、亀を「思慮深い知恵をもってゆっくり急いだ」と記しています。18世紀にはゲーテが『ヘルマンとドロテーア』の中で Eile mit Weile というドイツ語で引用しています。近年ではバラク・オバマ元大統領がこの言葉を愛好しています。この festina lente は、イギリスのオンズロー伯爵家のモットーでもありますが、これは家名の「オンズロー」(On-slow)とかけた駄洒落で付けられたものです(カンティング・モットーといいます)。

出典
山下太郎のラテン語入門
柳沼重剛,編:ギリシャ・ローマ名言集 p.105、p.171 岩波文庫


43. 時計の文字盤


 時計の文字盤や指輪の内側などにラテン語文字が刻まれていることがあります。ラテン語は時と場合によっては奥深い趣を醸し出します。
ビッグ・ベン(英: Big Ben)は、イギリスの首都ロンドンにあるウェストミンスター宮殿(英国国会議事堂)に付属する時計台の大時鐘の愛称です。1858年建立。大時計の文字盤はピュージンによって設計され、直径7mの鉄枠に312個の乳白ガラスがステンドグラスのようにはめこまれ、文字盤の周囲には金メッキが施されています。それぞれの文字盤の下には金文字のラテン語で DOMINE SALVAM FAC REGINAM NOSTRAM VICTORIAM PRIMAM(主よ、我らが女王ヴィクトリアに御加護を)と刻まれています。一般的なビッグ・ベンの写真では確認することは難しいです。
 三田の慶応義塾大学図書館の時計台は、明治時代から時を刻んでいましたが、昭和20年5月の東京大空襲で一部建物が焼失しました。幸い文字盤掛だけが奇跡的に保存され、時計台は昭和28年に復活しました。ラテン語で、Tempus Fugit(光陰矢の如し)と書かれた時計塔文字板も復活しました。ローマの詩人ウエルギリウスの農耕詩にみられる言葉で、時間に関連した格言として有名で時計によく使われています。この句は、このシリーズ12の007映画に関する欄でも紹介しました。
 国内に現存する西洋の機械時計としては久能山の置時計が最古のものとして知られています。時計機構正面の前方プレートに文字盤、時針が取り付けられています。製作者については、時計正面の文字盤の下に楕円形の銘板が鋲で貼り付けてあり、そこにラテン語でHANS・DE・EVALO・ME・FECIT EN MADRID・A・1581と刻まれています。文章は単語FECITがラテン語の「作る」を意味するFACEREの過去形です。従って、銘文の意味は「ハンス・デ・エバロが1581年にマドリッドで私を作った」となります。
 さて、時計文字盤の4時を示すローマ数字は、IVでなくIIIIが用いられています。この理由については所説あるようですが、「フランス、シャルル五世のわがまま説」もあります。シャルル五世が完成した時計の文字盤を見て、VからIを引くのが気に障り、IIIにIを足して IIIIを用いて作り直すよう時計師アンリ・ド・ヴィークに命じたという逸話があるそうです。これは史実でなく作り話であるという可能性が高いようです。

出典
佐々木勝浩、齋藤曜:久能山東照宮に保存されている 1581年ハンス・デ・エバロ銘置時計の機構と由来 Bull. Natl. Mus. Nat. Sci., Ser. E, 39, pp. 1-26, December 22, 2016
角山栄:時計の社会史 p.9 中公新書、1984年


44. 菫色(すみれいろ)


 色の名称は、地域、伝統、衣食の習慣などなどで独特の歴史があり、文字通り多彩で、多岐にわたります。例えば、青系の日本の伝統色は67種類とされ、藍染め、陶磁器の染つけ、顔料、空、海、花などの影響を受け、様々な名称がつけられています。その中の菫色(すみれいろ)は、紫色の一種で、英語では"violet"(バイオレット)で表記されることもあります。また、スミレの一種パンジー(pansy)が時に色名として使われることもあるようです。

 スミレは日本で古くから親しまれていた花で、古くは『万葉集』の中で、菫摘みを詠った短歌などが収められています。少なくとも平安時代には、装束の重(かさね)の色目として「菫菜」(すみれ)と「壷菫」(つぼすみれ)というのがあったそうです。菫菜は表が紫で裏が薄紫、壷菫は表が紫、裏が薄めの青(今でいう緑)となるような衣装の生地の配色であり、重色目のように紫の配色のたとえとして菫の名が出されています。菫色という言葉が盛んに使われるようになったのは近代以降で、欧文における菫色(英語では"violet")の訳語として使われるようになっています。

 一方、西洋における「バイオレット」は、やや赤みを帯びた紫(パープル, purple)に対して、青みを帯びた紫として使われることが多いようです。もともと古代ローマでは、赤みのかった紫をラテン語 purpura(プールプラ、貝紫色)、赤と青ほぼ等分のものを viola(ウィオラ、もとはスミレの意)、青みがかった色を hyacinthus(ヒュアキントゥス、もとはヒヤシンスの意)と言いました。そのうちhyacinthusは紫をあらわす一般的な色名としては使われなくなり(ただしヒヤシンスの花の色をあらわす固有名としては現在にも残っています)、とくにpurpuraの染色が貴重なものであったため、purpuraのほうが紫の代表名となり、英語ではこれが語源のpurpleが標準色名となりました。そしてviolaのほうは青みの紫を示すものとして使われ、英語では語形変化してvioletとして使われているそうです。

 ちなみに、purpuraは、医学用語では紫斑病を表します。また、虹の7色のうち最短波長の色である紫は、青みを帯びた紫であることからニュートンが"violet"と定義したため、現在でも英語で虹の紫をさすときはpurpleを使わずvioletという語が使われています。そのため、紫外線はUltraViolet (略してUV)です。

出典
伝統色のいろは Traditional colors of Japan


45. 女性の名前


 欧米の人の名前、ファーストネームは男女を問わず、ラテン語をその起源としているものが少なくありません。命名は、親の願いを込めることが第一ですが、これに、時代の流行、有名人にあやかったり、発音しやすさなどが加わって、変遷してゆくものと思われます。

この表は、英語の代表的な女性のファーストネーム、そのラテン語の起源を列記し、私が日本語に当て字してみました。意味を損なわないようにしたため、日本語の名前は、少し古め?ですね。

英語 ラテン語起源 日本語当て字
Beatrice beare(幸せにする) 幸子
Clare clarus(明るい) 明子
Diana, Dian(n)a 月の女神 Diana 月子
Emily, Emilia 氏族名 Aemilius 恵美
Fericia, Ferice ferix(幸せな) 幸恵
Gloria gloria(栄光) 榮子
Hilary hilarus, hilaris(陽気な) 陽子
Laura laurus(月桂樹) 葉子
Marina marinus(海の) 晴海
Olive, Olivia oliva(オリーブ)、平和の象徴 和実
Patricia Patricius(貴族出身の人) 貴子
Rose, Rosa rosa(バラ) 花代
Stella Stella(星) 星美
Vera vrerus(真の) 真子
Viola, Violet viola(スミレ) すみれ
Vivian vivus(生き生きとした、活発な) 陽爽


46. ユビキタス


 携帯電話やSNSの発達により、IT・通信業界で「ユビキタス社会」などの言葉をよく耳にするようになりました。日本語の「ユビキタス」という言葉は、英語の「ubiquitous」に由来し、「ubiquitous」は、ラテン語で「遍在」をあらわす一般的な用語 ubique に由来する宗教用語であり、「神はあまねく存在する」という意味です。

 IT分野での使用としては、1991年に米ゼロックス(XEROX)社パロアルト研究所のMark Weiserが論文で使用したのが最初といわれています。このとき彼は「ユビキタス」という言葉の持つ『神の遍在』という意味を込めた訳ではありませんでした。究極のインターフェースの理念は、それが何台のコンピュータであるとか、どのように接続されているかといった事象とは別の概念であることを強調したのでした。後に『遍在』という言葉が独り歩きしてしまったため、Weiserは"Calm Technology"という言葉を使うようになったそうです。2006年〜2007年ころにさかんに使われ、「いつでも、どこでも、だれとでも」という合言葉はIT関連商品の販売のために小売店でのポスターやテレビCMなどでさかんに使われました。「ユビキタス」の厳密な定義は出されていません。

 「ユビキタス」は、色々な分野に関係するため。他の言葉と組み合わせて使われることが多く、例えば、「ユビキタスコンピューティング」、「ユビキタスネットワーク」、「ユビキタス社会」などがあげられます。反対に、意味する範囲が明確に定義されていないことにもなります。

 いずれにしても、コンピュータということを人に意識させないで、人の生活を支援する技術、環境によって、仕事や娯楽がますます便利になり、変化してゆく時代に突入していることは事実で、私や私の周囲の機械に苦手な人達には、想像できない新たな課題も出てくることでしょう。

出典
ウィキペディア(Wikipedia)


47. ヘビ


 ヘビは一般に忌み嫌われる動物です。旧約聖書で、アダムとイブが禁断の木の実を食べてエデンの園から追放されましたが、これをそそのかしたのはヘビでした。一方、ヘビは崇拝されることもあります。中国では、雌雄のヘビが祖先神として崇められています。日本でも縄文時代、ヘビを信仰の対象とした証拠が土器に形跡があります。

 古代ギリシャ時代には、ヘビは、再生と不死身−つまり健康のシンボルとして崇められました。後に神の一員、医学の守護神となった神話に登場する名医アスクレピオスの持つ杖には、健康の象徴であるヘビが巻き付いています。のちの時代に、この一匹のヘビが巻き付いた杖は、医療・医術の象徴として欧米で広く用いられ、WHO(世界保健機関)やAMA(米国医師会)のマークなどに採用されています。また、このマークは世界各国で救急車の車体に描かれていたり、軍隊や準軍事組織等で軍医や衛生兵などの兵科記章や資格章・特技章に用いられていることも多く、日本の陸上自衛隊でも衛生科職種の職種き章(徽章)に用いられています。私が以前勤務していた防衛医大の校章は、日本の国花である桜、平和を意味する鳩、医学のシンボルである蛇杖を組み合わせて形作られています。この校章は日本の独立と平和を守り、医学の研鑽に励むことを意味しているそうです。

 健康や医学に関する組織や施設のロゴマークのデザインのうち、ヘビが1匹のものと2匹のものは由来が全く異なっているそうですが、両者の混同もしばしば見られます。

 ヘビのラテン語はアングイス anguis で、英語のサーペント(Serpent)はラテン語の Serpens, Serpentis を由来とする言葉でヘビの別名。比較的大型の、特に毒蛇に使われ、大蛇、 蛇神のことを表します。

 イギリスのK. ローリングによる児童文学、ファンタジー小説のハリー・ポッターのシリーズ中に、ハリーの唱える呪文にはラテン語が良く使用されています。このうち、第二巻「ハリー・ポッターと秘密の部屋」で、Serpensortis !(サーペンソーティア)が使われています。これは、ラテン語 Serpens「ヘビ」+フランス語 sortir「出る」の造語で、「ヘビよ、出ろ!」という意味です。決闘クラブの時にドラコ・マルフィオがハリーに向かってこの呪文でヘビを杖先から出しました。

出典
佐治文隆:市立芦屋病院 Chapter 43. アスクレピオスの杖


48. ゴルファーへの励まし?


 Dum Spiro Spero というラテン語名句があります。ドゥム・スピーロー・スペーローと読み、「息をする間、私は希望を持つ」。すなわち「生きる限り、希望を持つことができる」と訳されます。ラテン語のspiro は breathe、呼吸を意味する動詞。ラテン語のspero は hope 、希望を意味する動詞です。わずか3語の簡潔な言葉で、しかもスピーロー・スペーローの語呂合わせが絶妙です。作者・出典は不明です。

この言葉に初めて触れたとき、私は、肺活量などをチェックするスパイログラムという検査を思い出しました。スパイロ検査は、苦痛を伴わずにできる検査で、慢性閉塞性肺疾患などの肺の病気の診断に役立ちます。

さて、話は変わって、セント・アンドルーズ(St. Andrews)は、スコットランドのファイフにある、北海に面する町でゴルフの発祥の地として知られています。ゴルフの権威であるR&A ゴルフクラブと美しいゴルフコースのセント・アンドルーズ・リンクスがあるため、セント・アンドルーズは「ゴルフの聖地」と呼ばれています。5年に1度、四大メジャーで最古の歴史を誇るゴルフ大会・全英オープンがセント・アンドルーズ・リンクスのうちの最も由緒ある「オールド・コース」(Old Course)を舞台に開かれています。セント・アンドルーズの街の入り口の、ウエスト・ポートという16世紀に再建された石門の内側、中央部の頂上にこの句が刻んであるそうです。この句は、人生のあらゆる場面で励ます意味がありますが、場所柄、出だしが不調でも、この句で励まされたゴルファーも長い歴史の中できっと少なからずいるはずです。

また、この名句は、コロンビアやチャールストンなどの都市を有するアメリカのサウス・カロライナ州のモットーでもあり、州章にもこのラテン語句がみられます。

出典
山下太郎のラテン語入門
柳沼重剛 編:ギリシア・ローマ名言集 p.104 岩波文庫


49. アルコール


 人類のアルコール摂取には長い長い歴史があります。このシリーズ39「炭酸水」の中で、古代エジプトの女王クレオパトラが、ぶどう酒に真珠を溶かした飲み物―現代のスパークリング・ワインに似たもの―を作り、秘薬として愛飲していたことに触れました。

アルコール(Alcolol)はオランダ語の読み方、英語ではアルコホール。語源を遡れば、アラビア語alkuh(al=冠詞+kuh=眉墨の一種)で、アラビアの婦人が眉毛を黒くする粉から昇華によって得られる微細な金属を指すようになり、その液体についても用いられるようになりました。そしてalcohol vini(ぶどうの酒精)が固定し、一般化して「酒精」を意味するようになったという歴史があります。

 ビールはオランダ語bier、英語ではビアbeerです。語源はラテン語 bibere(飲む)です。

 ワインwineはキリスト教の儀式にも使われその歴史は古く、語源はラテン語 vinum(ぶどう酒)。ヴィンテイジというと古い年代ものの古着やジーパンを思い出しますが、元来はワインの「年代もの」を指します。古くはW=Vでいまでもwineなどブドウを意味する英語があります。

シャンパンはフランスのシャンパーニュ地方で産する発泡性のあるワインです。シャンパーニュChampagneとはラテン語で「平原」を意味する「カンパニア Campania」が語源となっており、何もない平原が広がる光景を見てローマ人が名づけたといわれています。

 ウイスキー whiskyの原義は古アイルランド語で「命の水」(ラテン語では aqua vitae)、whiskyはスコッチとカナディアンを指し、whiskeyと綴るとバーボンとアイリシュを指すそうです。

 ジンjinは最初オランダでつくられ、杜松の実で芳香を加えた無色透明な蒸留酒で、カクテルに使われる。語源はオランダ語genever、元はラテン語 juniperus(杜松の木)です。

 スピリッツspiritsは、ジン、ウォッカ、ラム、テキーラなど強い酒の総称です。語源はラテン語 spirare(息をする)から、「精神、気迫」を意味し、ここでは蒸留して抽出された「酒精」を意味します。

最後に、ホラーティウスの詩に Nunc est bibendum. という言葉が見られます。「今こそ飲むべし」という意味で、慶事を祝し「さあ、飲もう」と呼びかけています。

出典
「ウイスキー派」に教えたい英語での注文のコツ 箱田 勝良 東洋経済
山下太郎のラテン語入門


50. 諸行無常


 Sic transit gloria mundi.(地上の栄華はかくのごとく過ぎ去る)。この成句はトマス・ア・ケンピスの作で、地上の栄華は未来永劫のものではないことを示しています。gloriaはキリスト教の文書では、天上にあっては「栄光」、地上にあっては「栄華」と訳を変えるようです。mundiはmundis「世界」の属格形。一見すると、日本の鎌倉時代に著されたとされる「平家物語」の冒頭文:「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」から、「無常観」を思い起こす方も居られることでしょう。一般的には、仏教の場合、その人の生前の行いによって、地獄・餓鬼・畜生、人間、天上界へと行くとされています。しかし、キリスト教では、天の大国が待っていて、信仰のある人には別の世界が待っています。すなわち、古代ローマ人の栄誉は、自分の名が永遠に、子孫に語り継がれることでした。

 一般に、成句は、作られた時代、背景や状況、作者の立場などなどで、後世の人達によって、色々解され、引用者の都合によって、当初の意味と反対の意味を持つ場合もあり得ますので、その評価や味わいも異なることになります。

出典
ラテン語のはなし 栄華は去りゆく―不規則動詞をもう一つ p.66-70. 通読できるラテン語文法 逸身喜一郎 大修館書店