院長の趣味の部屋 ラテン語とエピソード (1)

 目次
1〜25 | 26〜50 | 51〜75 | 76〜100 | 101〜

0. はじめに
1. ボイジャーのゴールデンレコード
2. 白内障
3. 甲子園:深紅の優勝旗
4. バラの下で sub rosa
5. 大学と校訓
6. 食欲 vs 理性
7. ホウセンカ
8. カエノラブディティス・エレガンス
9. Re: 現在、日本人が目にする最も身近なラテン語
10. White album
11. 上野の銅像といえば
12. 映画007シリーズとラテン語
13. ヒポクラテスについて:さわり
14. 好きなラテン語の格言(1)
15. 好きなラテン語の格言(2)
16. 好きなラテン語の格言(3)
17. 回文
18. 日本の大学建物とラテン語
19. コスモスとカオス
20. 東洋と西洋
21. Pater:父なるもの
22. ジギタリス
23. カーナビ
24. 水
25. バッハ作品とラテン語

はじめに


 私は以前から言葉の語源に興味を持ち、ラテン語の言語派生辞典などを楽しむことを密かな趣味としていました。
 ラテン語は、紀元前700年前から古代ローマ共和国で公用語として使用され広く普及した古代言語です。476年、西ローマ帝国滅亡後は、ローマ文化圏の古典文学を伝承する役割を担う一方、勢力を伸ばすキリスト協会を通してカトリック教会の公用語として、祭礼宗教用語になりました。現在はバチカンの公用語であるものの、日常ではほとんど使用されていません。しかし、医学・自然科学・数学・哲学・工業技術など多くの専門分野では、ラテン語が今でも用いられ続けています。私は山下太郎先生の「ラテン語入門」に感化され、ラテン語の名言、格言を味わいました。また、ラテン語に関するエッセーやこぼれ話にも大いに心動かされました。この小文は、私が長年興味を魅かれたラテン語に関するエピソードをまとめたものです。
皆様にもぜひ読んで頂き、明るく豊かな気分を共有できたらと思っています。

1. ボイジャーのゴールデンレコード


 米国航空宇宙局(NASA)から1977年に打ち上げられたボイジャー探索機には、「ゴールデンレコード」が搭載された。地球外知的生命体(宇宙人)や未来の人類が見つけて解読してくれることを期待して、地球の生命や文化の存在を伝える音や画像が収められています。この中には、ヒト男女のシルエット、食べる動作、数字や簡単な単位、学校での場面、文字を示す本、楽器や楽譜、日常の渋滞やマーケット、スポーツの一場面、ビルの夜景などの風景、鳥獣の姿などなど55か国の音声や音楽が含まれており、いわば宇宙に埋めたタイムカプセルと言えます。このレコードジャケットには、ラテン語でAd astra per aspera(困難を克服して栄光を獲得する)と書かれた、セネカの格言のモールス信号が収められています。Astraとは天、星座を意味しており、ロマンを掻き立てられるぴったりの言葉と思われます。私は、この内容は一人一人の患者さんの治療目標でも通用すると考え、宮川内科医院の受付前にこの格言を掲示しました(図1)
 NASA研究員で、鈴鹿短期大学学長であった故佐治晴夫氏は、レコードにバッハのプレリュードとC52の音の収録曲を推薦し採用されました。佐治先生の生涯、とくに宇宙や物理と音楽とのかかわりはとても興味深く感動します。佐治先生は「数千年かけて1回りする連星の研究に生涯を捧げる人もいる。一人の人生の中で完結できないことを背負いながら、人は生きているとボイジャーは教えてくれる。」と述べています。

出典
朝日新聞デジタル(2013年9月13日)
http://goldenrecord.org/
佐治晴夫『宇宙はすべてを教えてくれる』(PHP研究所)、『宇宙の風に聞く』(セルフラーニング研究所)、『おそらにはてはあるの』(玉川大学出版部)、『星へのプレリュード』(黙出版)、『二十世紀の忘れもの』(雲母書房)、『「わかる」ことは「かわる」こと』(養老孟司との共著)(河出書房新社)、『からだは星からできている』(春秋社)


2. 白内障


 高齢化社会を迎え、眼科領域の加齢による疾患の代表として、白内障は有名です。Cataract(白内障)はラテン語の cataracta を語源とし、「大滝、瀑布、奔流、豪雨、洪水」を意味します。急流が白っぽく見えるように、この用語は後に、「加齢に伴う眼球の白濁」を比喩する言葉として用いられたそうです。cataracta にはその他に、ヨーロッパなどにある城城門や城壁の出入り口などについていた垂直に落下する鉄格子(落とし格子)という意味もあり、この "障害物"(目の中にシャッターが下りたという感じ)という意味の部分がフランス語を通して英語に渡り、「眼病」という意味になった可能性があるといわれています。中世からの歴史のある欧州の街に行くと、今でも鉄格子のついた城門を見ることがあり、欧州独特の歴史の香りが感じられます(図2)
 一方、日本においても古くから、白内障に関する記載が残されています。平安時代末期から鎌倉時代初期頃に描かれた絵巻物に、病草紙(やまいのそうし)があり、当初は巻子本でしたが、現在は場面ごとに切り離されています。当時の種々の奇病や治療法など風俗を集めたもので、簡単な説話風詞書と一図の絵で構成されています。京都国立博物館HPの名品紹介欄には、この白内障の手術方法は、針で眼球を突き、水晶体を後ろ側(硝子体内)に脱臼させるという方法でした(図3)

出典
ラテン語−日本語−派生英語辞典: 山中元編著 国際語学社
ウィキペディア「落とし格子」
京都国立博物館名品紹介 病草紙(やまいのそうし)


3. 甲子園:深紅の優勝旗


 高校球児は"深紅の優勝旗"をめざし熱戦を繰り広げます(図4)。 1915年(第1回大会)に「全国大会の覇者に送られるわけだから日本一の旗を送ろう」という理由から、京都で有名な伝統工芸の西陣織の職人、平岡旗製造が創ったもので、制作費は約1,500円(現在の貨幣価値で約1,000万円)といわれています。優勝旗にはラテン語で「VICTORIBUS PALMAE」(勝者に栄光あれ)と刺繍されています。優勝行進でテレビに映る優勝旗ではこのラテン語を確認することは至難です。2018年には大会の100回記念として、60年振りに新調された3代目の優勝旗が授与されました。先代と同じく西陣織の「つづれ織り」の技術で織られ、製作には1年6か月を要したそうです。新しい旗にもラテン語で同じ刺繍が施されています。ちなみに、春のセンバツでは準優勝校に旗が贈られますが、夏の大会には準優勝旗がないそうです。なお、下記のHPには優勝旗作製に関しての面白いエピソードが記載されています。

出典
https://sunchi.jp/sunchilist/kyoto/69488  京都 平岡旗製造株式会社 2019.8.3投稿分


4. バラの下で sub rosa


 sub-はラテン語由来の英語の接頭辞で、「下・次」などを意味し、subway(地下鉄)、submarine(潜水艦)、subtitle(字幕)など、多くの派生語があります。ラテン語の sub rosa の元々の意味は「バラの下で」ですが、転じて「秘密に、内密に」と言う意味で,英語では "under the rose"と訳されます。
世界大百科事典では、ギリシア神話でバラが沈黙の神ハルポクラテスに与えられたという故事に基づくといわれ、古代ローマでは、会談や宴会をする際、天井にバラの花を彫り、その時の話の秘密厳守を求めた古い習慣によるという記述があります。バラの花言葉は「情熱、愛情、美」などで、愛や美の象徴であることは有名ですが、この句のように「秘密」のシンボルにもなっています。
研究社の英和辞典には、現代英文例として、"We held a meeting sub rosa to avoid general criticism." (一般的な批判を避けるために、秘密に会議を開いた) と記載されていますので、現代語としても通用しているようです。
いずれにしても、バラには見た目以上に奥深い神秘性が感じられます。ちなみに、"A rose is a rose is a rose."という文は、"a rose" が3つもある、と思われるかもしれませんが、アメリカの小説家Gertrude Steinの有名な言葉で、「バラはバラである。バラの花がバラであり、バラのトゲがバラである。バラの根がバラであるように、それ以外にバラの本質は存在しない」、すなわち、「バラはバラで、それ以上でもそれ以下でもない」という意味です。

出典
世界大百科事典 平凡社
新英和中辞典 研究社


5. 大学と校訓


 世界の大学には教訓やモットーを端的なラテン語で表現し、これを大学のロゴにしてグッズとして販売しているところがあります。代表例を挙げると、ハーバード大学の Veritas(真理)(図5)、イェール大学の Lux et Veritas(光と真理)、カリフォルニア大学の Fiat lux.(光あれ)、コロンビア大学の In lumine Tuo videbimus lumen.(汝の光のなかに我らは光を見出す)、ケンブリッジ大学の Hinc lucem et pocula sacra.(ここから光と神聖な盃を)、オックスフォード大学の Dominus illuminatio mea.(主はわが光)など、真理や光というラテン語の使用が多いことが分かります。若者が大学で未来の光り輝く希望をもって真理を追究してほしいという願いの表われと思われます。
 ユニークなものとして、マサチューセッツ工科大学は Mens et Manus(心と手)としています。工科大学として、発明や工夫などは手の作業が必須であるからと考えられたものでしょうか。
 日本の学校には、教訓をラテン語として採用しているところは、一部のキリスト教系の学校を除いて極めて少数です。「どこの学校でも、建学の精神や教訓があるので、ラテン語でも表記してみるのもユニークで、印象深く、新たな母校愛が生まれるのではないでしょうか。」と山下先生の言葉です。賛成!

出典
山下太郎「ラテン語入門」


6. 食欲 vs 理性


 東京池袋にある立教大学の正門をくぐると、真向かい奥に第一学食がみえます(図6)。学食ながら、テーブルや椅子は木製で重厚感があるようです。入口にラテン語で、 APPETITVS RATIONI OBEDIANT(食欲は理性に従うべし)と表示されています。哲学者マルクス・トゥッリウス・キケロの言葉で腹八分の意味のようです。
 キケロ(紀元前106年〜紀元前43年)は、共和政ローマ末期の政治家、文筆家、哲学者です。ラテン語でギリシア哲学を紹介し、プラトンの教えに従う懐疑主義的な新アカデメイア学派から出発しつつ、アリストテレスの教えに従う古アカデメイア学派の弁論術、修辞学を評価して自身が最も真実に近いと考える論証や学説を述べ、その著作『義務について』はラテン語の教科書として採用され広まり、ルネサンス期にはペトラルカに称賛され、エラスムス、モンテスキュー、カントなどに多大な影響を与えました。キケロの名前に由来するイタリア語の「チチェローネ」という言葉は「案内人」を意味しますが、ギリシア哲学の西洋世界への案内人として果たした多大な影響をよく物語っています。
 知り合いの立教大学OBや教員の方2、3人にこのことをお話ししたところ、何か書いてあることは知っていても、その意味は知らなかったと答えられていました。

出典
立教大学HP:第一食堂


7. ホウセンカ


 Impatiens balsamina ホウセンカ(鳳仙花)(図7):ツリフネソウ科、花言葉は短気。
研究社の新英和中辞典によると、「患者」を意味する英語のpatient は形容詞として「辛抱強い」という意味を併せ持っているそうです。従って、その反意語は impatient で、「短気な、いらいらして、切望して」という意味になります。
この花の学名はラテン語で「インパティエンス」で、ツリフネソウ科の総称ですが、これは、人が果実に触れるとすぐにはじけて種をまき散らす性質にちなんでいるそうです。
2018年9月10日、テニスのUSオープンで優勝した大坂なおみ選手は、インタビューで「勝利するためには何が必要か?」と問われ、「patient (忍耐)」と答えていました。

出典
新英和中辞典 研究社 
みんなの花図鑑 ホウセンカ


8. カエノラブディティス・エレガンス


 線形動物門双腺綱桿線虫亜綱カンセンチュウ目カンセンチュウ科に属する線虫の1種。 Caenorhabditis elegans、通称、「C.エレガンス」と、優雅な名前で呼ばれています(図8)。線虫とは体が細長いひも状をした動物の総称で、透明な体を持った1mmほどの大きさです。哺乳類に寄生する回虫やギョウチュウなど寄生性の線虫が知られていますが、C.エレガンスに寄生性はなく、土中にいてバクテリアを食べて生きています。写真は、東大飯野研究室のHPから引用させていただきました。
C.elegansの種小名が何故「elegans」なのかと言えば、大概の近縁種も同じ形はしていますが、このニョロニョロがエレガントだからだそうです。
1960年代に南アフリカ出身の分子生物学者であるシドニー・ブレナーが、生物の発生の仕組みと神経の働きを解き明かすため、C.エレガンスをヒトの複雑な生命現象を解明するためのモデル動物として提唱しました。彼らは、C.エレガンスの細胞分裂の様子やニューロン(神経細胞)の回路を丹念に観察し、モデル動物としての実力を証明しました。C.エレガンスは成虫でも細胞数が959個、ニューロンが302個と少なく、単純な構造をしています。また、卵から孵化して成虫になるまでが4日と短く、遺伝子の掛け合わせも容易で、モデル動物として理想の特徴を備えています。ブレナーはこの研究で、ロバート・ホロビッツ、ジョン・サルストンと共に、細胞の「アポトーシス」という仕組みを突き止め、2002年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。アポトーシスとは、遺伝子にあらかじめ組み込まれた細胞を自発的に死なせる仕組みで、生物が健全な状態で生きていくのに欠かせないものです。ヒトの生命現象を解き明かすモデル動物に、こんな洒落た学名が付いていたとは、驚きとともに顔がほころびます。
日本との関わりとして、ブレナーは、2005年の発足から2011年まで独立行政法人沖縄科学技術研究基盤整備機構の理事長として沖縄科学技術大学院大学の創設に関わり、「日本の科学技術研究教育の発展に寄与した」として2017年に旭日大綬章を受章しています。

出典
WormClassroom
東京大学理学部大学院 飯野研究室HP


9. Re: 現在、日本人が目にする最も身近なラテン語


 ラテン語を語源とする現代語は意外に多いことに驚きます。もちろん、ラテン語とは気づかずに連用されている言葉もたくさんあります。その中で、私たちが最も目にするラテン語とは何でしょうか?
毎日使用しているスマホや携帯電話でメールを送る際、タイトルのところには、「Re:」が表示されています(図9)。これは、Replay(返事)や Response(返答)の略ではなく、語源は「もの」とか「ことがら」を意味するラテン語の res の変化形の1つで、Re:は、○○の事柄に関する、という意味を持つラテン語です。
興味深いことに、共和国を意味するRepublic(英語)は、公(public)の事柄(res)から出来ています。publicaは「公の」を意味するラテン語です。スマホのRe: と共和国に語源の共通点があることはおもしろいですね。

出典
石井米雄:英語の起源 角川文庫


10. White album


 ビートルズの沢山のLPの中に、White album という表題のものがあり、直訳すれば「白いアルバム」となります。下記出典によれば、 Album とはラテン語で、「白色掲示板、とくに法務官の告知板(図10)の意味で、白い漆喰を塗った壁面の一部に公的な告示や私的な広告などを書きつけていた」と記載されています。 Albus は白のという意味で、派生語として、alpus、albino、albumなどがあります。ビートルズの「White Album」の正式名称は「The Beatles」です。しかし、1968年11月のリリース当時から、同作は「White Album」という、いわゆる“通称”で呼ばれてきたそうです。「Back in the USSR」や「Ob-La-Di, Ob-La-Da.」などが収録され、アメリカでは数曲のシングルが追加された11曲入りのLPとして発売されビルボード・チャート1位となっています。
ヨーロッパの人達の中では、この表題にユーモアも感じている方もおられると思います。半世紀を経て、2018年に White album 50周年盤が配信されています。確か、以前に松田聖子さんがCM出演した、Seiko Albaという腕時計は文字盤が真っ白でした。

出典
水谷智洋:ラテン語図説辞典 研究社


11. 上野の銅像といえば


 上野公園の銅像といえば西郷隆盛像が有名ですが、試験管を持つ野口英世像もあります(図11)
野口英世は、明治9年11月、福島県猪苗代湖畔の農家に誕生。31年、北里柴三郎主宰の伝染病研究助手、33年12月に渡米、37年よりロックフェラー医学研究所で梅毒スピロヘータの研究を重ね、国際的にも高い評価を受けました。大正7年からは中・南米やアフリカに赴き、黄熱病の研究に努めたが、やがて自らも感染し、昭和5年5月、現在のアフリカ・ガーナのアクラにて53歳で没しました。
 野口英世銅像は総高約4.5メートル、試験管をかざした実験中の姿を表現したもので、昭和26年除幕式が行われ、台石にはラテン語で PRO BONO HUMANI GENERIS(人類の幸福のために) と刻まれています。PRO BONOとはラテン語で「公共善のために」を意味する pro bono publico の略で、各分野の専門家(プロ)が、職業上持っている知識やスキルを無償提供して社会貢献するボランティア活動全般を意味します。最初は弁護士など法律に携わる職業の人々が無報酬で行う、ボランティアの公益事業あるいは公益の法律家活動を指し、現在も弁護士の業界において、もっとも浸透しているようですが、企業や医療・介護の世界にも浸透しつつある言葉です。
 自治体や医師会などでは、仕事上の知識やスキルを駆使して顕著なボランティア活動を行った医師や医療従事者、団体などに「プロボノ賞」を贈り、顕彰しています。

12. 映画007シリーズとラテン語


 私はジェームズ・ボンドが活躍するスパイ映画「007」をよく見ます。原作者はイギリス生まれのイアン・ランカスター・フレミングで、陸軍士官学校卒業後、銀行や問屋での勤務を経て、大手通信社のロイター通信のモスクワ支局長としてソビエト連邦に赴任。1939年から英海軍情報部(NID)に勤務。同年にイギリスも参戦した第二次世界大戦中は諜報員として活動し、「ゴールデンアイ作戦」などの指揮を執り、1945年の終戦後退役。その後、ジャマイカの別荘「ゴールデンアイ」に居住。1953年に、それまでの経験をもとに「ジェームズ・ボンド」シリーズ第1作となる長編「カジノ・ロワイヤル」を発表。1964年、遺作となった12作目の「黄金の銃をもつ男」を校正中に心臓麻痺で死去しました(享年56歳)。わずか12作の原作小説を残しただけでしたが、映画は世界的に大ヒットし、彼の精神を引き継ぎ、2020年までに25作品が上映されています。
 この映画シリーズ内でのラテン語を探してみましょう。まず、タイトルでは、第13作「オクトパシー (Octopussy)」。Octo はラテン語で「8」を意味し、オクターブなども octo の派生です。また、第23作「スカイフォール (Skyfall)」。本作では、彼の生家「スカイフォール」が登場する。館の名は Fiat justitia ruat caelum(天が墜ちるとも正義は為されるべし) という法学のラテン語成句を引用したものだそうです。
 タイトル以外でも、第21作「カジノ・ロワイヤル」でボンドが初めて愛した女性の名が Vesper で、これはラテン語で「宵の明星」を意味します。第24作「スペクター」では、時計が爆発する時、ボンドが「Tempus fugit.」と言いましたが、これはラテン語の成句です。「時間が経つのは非常に速い」と言う意味で、日本のことわざの「光陰矢の如し」に相当するようです。時計に刻まれる銘としてよく使われています。
最後に、第6作「女王陛下の007」から。英国紋章は一人ひとり違うので、その厳重な管理元はイギリスの紋章院です。リチャード3世が1484年に創設して以来、そして紋章院総裁は首相よりも地位が高いそうです。「女王陛下の007」の中で紋章院を見ることができます。この映画の中でジェームズ・ボンドの祖先の紋章も見ることができます。記されたモットーは mundi est non satis.、英訳すると The World Is Not Enough. となり、これは驚くことに、第19作のタイトルでありました。

13. ヒポクラテスについて:さわり


 ヒポクラテスは紀元前460年頃、エーゲ海に面したイオニア地方南端のコス島に生まれた古代ギリシャの医師で、医学を原始的な迷信や呪術から切り離し、臨床と観察を重んじる経験科学へと発展させたことが大きな業績の一つとして挙げられています。さらに医師の倫理性と客観性について「誓い」と題した文章が全集に収められ、現在でも「ヒポクラテスの誓い」として、現代医学の進歩による修正や追加を行いつつ、医学部の卒業式などで見聞できます。
ars longa, vita brevis というラテン語はヒポクラテスの言葉として、「人生は短く、術のみちは長い」と訳されています。この ars は、芸術のみならず、科学技術、医術も含めた人の技術全般を示すものと言われています。また人間のおかれた環境(自然環境、政治的環境)が健康に及ぼす影響についても先駆的な著作を残しています。これらヒポクラテスの功績は古代ローマの医学者ガレノスを経て後の西洋医学に大きな影響を与えたことから、ヒポクラテスは「医学の父」、「医聖」、「疫学の祖」などと呼ばれています。
 ヒポクラテスの施す医術は、人間に備わる「自然治癒力(ラテン語で vis medicatrix naturae」、つまり四体液のバランスをとり治癒する自然の力を引き出すことに焦点をあてたものであり、そのためには「休息、安静が最も重要である」と述べています。さらに、患者の環境を整えて清潔な状態を保ち、適切な食餌をとらせることを重視しました。例えば、創傷の治療には、きれいな水とワインだけを用い、鎮痛効果のある香油をときに塗布薬として用いました。この内容は、「ヒポクラテスの誓い」の一説に、「私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。頼まれても死に導くような薬を与えない」と記載されています。
 ちなみに、京都二条通にある薬祖神祠(やくそじんし)は、1858年、中国の薬神と呼ばれる「神農(しんのう)」を祀ることに決めましたが、後に薬祖神としてヒポクラテス像も祀られています。観光客が正面像を写真に収めようとしますが、ガラス板に阻まれ苦労しているそうです。
 最後に蛇足ながら、現代でもヒポクラテスの名を冠したものは多々見られます。月にはヒポクラテスと名付けられたクレーターがあり、「ハリーポッターシリーズ」には、アーサー・ウィーズリー氏の主治医としてヒポクラテス・スメスウィックという人物が登場します。ニューヨーク大学 メディカルセンターには、「ヒポクラテス・プロジェクト」と呼ばれる、テクノロジーを活用して教育の充実を図るプログラムがあります。カーネギーメロン大学コンピューターサイエンススクールとシャディサイド・メディカルセンターによる「コンピューター補助による次世代手術ロボットの設計・開発」を目的としたプロジェクトが、HIgh PerfOrmance Computing for Robot-AssisTEd Surgery(手術を補助するロボットの為の高性能コンピュータ)の頭字語から「プロジェクト・ヒポクラテス」と名付けられています。

出典
ウィキぺディア ヒポクラテス


14. 好きなラテン語の格言(1)


 ラテン語には多くの格言があり、時代背景が環境の相違があっても、現代でも十分通用するものが少なくありません。私は目にする気に入った格言を数年前から年賀状に採用していますが、今のところあまり反応はありません。しかし、古代のラテン語圏での格言と日本の格言、ことわざの意味や内容が、極めて類似していることに驚くこともしばしばあります。自戒・反省や自己への鼓舞にも有用で、楽しい味わいも感じられます。

Ignoranti quem portum petat nullus ventus est.
「どの港を目指すか分からぬ人に、順風が吹くわけがない」


Post nubila Phoebus.
「雨を降らせる雲が空を覆っていても、太陽の存在を疑うことができないように、困難の後には良いことが起こる」


Gutta cavat lapidem, non vi sed saepe cadendo.
「滴は岩に、力によってではなく、何度も落ちることによって穴をあける」
  

15. 好きなラテン語の格言(2)


Medice, cura te ipsum!「医者よ、汝自身を治せ」

 作者はルカで、医師であり、新約聖書の『ルカによる福音書』及び『使徒言行録』の著者とされる人物。聖人の概念を持つ全ての教派で、聖人として崇敬されており、西方世界では医者及び画家の守護聖人と称されています。日本語表記では「路加」とも書かれ、「聖路加病院」の命名の由来にもなっています。
 一方、江戸時代の風来千人(平賀源内)の『風流志道軒伝』に、『医者の不養生、坊主の不信心』という言葉が残されています。 時代背景や環境の相違もある中、日本にも同じ内容のことわざがあることに驚きます。同類のことわざとして、以下があげられます。

 学者の不身持(がくしゃのふみもち)、紺屋の白袴(こうやのしろばかま)(図12)、坊主の不信心(ぼうずのふしんじん)、易者身の上知らず(えきしゃみのうえしらず)、駕籠舁き駕籠に乗らず(かごかきかごにのらず)、 鍛冶屋の竹火箸(かじやのたけひばし)、髪結いの乱れ髪(かみゆいのみだれがみ)、紺屋の白足袋(こうやのしろたび)、左官の荒壁(さかんのあらかべ)、儒者の不身持(じゅしゃのふみもち)、大工の掘っ立て(だいくのほったて)、椀作りの欠け椀(わんづくりのかけわん) などなど。

 さて、現代に戻って、2018年7月31日付の日経メディカル電子版によれば、医師4,199人を対象としたアンケートで、「自分を不養生と思うか?」の問いに、「強く思う」と回答した医師は20.6%、「少しはそう思う」が49.2%と、合わせて70%近くの医師が不養生だと回答したそうです。「医者の不養生」の意味として「職業的、専門的に正しいとわかっていながら自分では実行しないこと」とありましたが、ではなぜ自分では実行できないか? と考えたときにいろいろ思い当たることがあります。中野先生は次の3つを挙げています。

1)医者だからこそ医者に相談しにくい
 自分と全く専門の異なる科の診療はともかく、自分の領域と重なるような内容だと、どのタイミングで真面目に受診し、きちんと診察、検査を受けてカルテに記録を残すようにするかが難しいのです。

2)身内だと守秘義務がきちんと機能しなくなる
 医者が自分の病院を受診すると、周りにすぐ広まってしまうという問題です。医者は患者さんへの守秘義務がありますが、医者が自分の病院で診察を受けると、そういった守秘義務は実際のところ、あってないようなものです。最近ではカルテの電子化も進み、情報の共有化が常識化し、その結果として、医者が自分の勤務する病院で診察をうけると、自分の病気の情報は職場であっという間に広まることになります。

3)医者は健康に関して自分1人でなんとかしようとしがちである
 自分の専門外の疾患であれば気楽に相談することも可能ですが、例えば、自分の専門領域に関連する病気について、自分でなんとかできるかというと、薬の量を調節して、定期的に検査をしてというのは自分でできることではありません。しかし、誰か他の医者に医学的責任を負ってもらって、厳格に管理してもらうのが体にとっては一番いいのは間違いないです。結果として、病気が進んでからやっと他の医者の診察を受けたりということになってしまいがちになります。

 以上のように、実際に起きている医者の不養生というのは、「単純に忙しくて自分の健康に気を配れない」だけではなくて、医者という職業の特性や職場の人間関係などの社会的要因によって起きている出来事だと中野先生は分析しています。他人のことに関してはプロとして助言でき、明確に仕事と割り切って対応できるのですが、自分の問題に対応しようとすると、想像以上に障壁が多くてうまく進まないこともあります。振り返って、私自身も健康を過信した時期があり、反省しています。

 蛇足ながら、英語では、"Do as I say, not as I do." 「わたしの言うことは聞きなさい。でもやることはマネしないように。」ということわざがあるそうです。

出典
日経メディカル電子版 2018/07/31
病院診療マニュアル 医者になってみたら「医者の不養生」の意味がいろいろと考えさせられる


16. 好きなラテン語の格言(3)


Fluctuat nec mergitur 「たゆたえども沈まず」

 これは16世紀から存在する、パリ市の紋章にある標語です(図13)。 帆いっぱいに風をはらんだ帆船とともに刻まれているリボン字のラテン語は、「どんなに強い風が吹いても、揺れるだけで沈みはしない」ことを意味します。パリの紋章にはラテン語でFluctuat nec mergiturと記載されていて、「たゆたえども沈まず」という船乗りの意志を表しています。

 歴史的に振り返ってパリを1隻の船に例えています。すなわち、パリは長く続く人間の争いの歴史の中で、それは苦難の連続であったからです。カペー朝、ヴァロア朝、ブルボン朝と、多くの支配権下で続く争の中で、パリはときには栄え、ときには廃れかけたりもしました。第二次世界大戦時にも、ナチス政権率いるドイツ軍にパリは4年間も占領されました。ここ数年でも、パリは多くのテロ攻撃によって翻弄されつづけています。それでも、パリは世界で誰もが知り、誰もが認める憧れの一流の都市であり続けています。まさに「たゆたえども沈まない」パリという都市の意志を象徴しています。この言葉を人生に置き換えてみると、困難や苦悩があっても、沈みさえしなければ前にすすめると、一人一人にそう訴えかけているのではないでしょうか。昨今の世界の現況をみて、思い起す格言です。

出典
山下太郎のラテン語入門


17. 回文


「たけやぶやけた」や「モテ期になると太る、何着ても」など前から読んでも後ろから読んでも同一な文を回文といいます。一般にそう深い意味はないものが多いようです。ラテン語にも古くから回文が残されています。例えば、西暦75年にイタリアのヴェスヴィオ火山で滅亡した街、ヘルクラネウムの遺跡から発見された回文(図14)

SATOR
AREPO
TENET
OPERA
ROTAS

 横に読んでも縦に読んでも Sator Arepo tenet opera rotas。加えて、もちろんそれぞれ逆からも読めます。縦横、都合四方向から読める回文は、見たことも聞いたこともありません。 「農夫のアレポ氏は馬鋤きを曳いて仕事をする」という意味に翻訳されるそうです。この回文も意味として深いものはないですが、興味深いことに、この回文の最古のものはイタリアのヘルクラネウムの遺跡から見つかっており、後に、イギリスのサイレンセスターやシリアのドゥラ・エウロポス遺跡でも見つかっているそうです。1世紀中ごろには既に存在していたと考えられています。古代人が文字を形ととらえていたかどうかは不明ですが、どのような思いでこの回文を彫っていたかを想像することも時空をこえたロマンです。

 ちなみに、ワインであるヴィーニャ・センツァ・ノーメの瓶ラベルにはこのラテン語の回文が印刷されていました(図15)。私も早速取り寄せて飲んでみたところ、この白ワインは輝かしい麦わら色。香りは非常にフレッシュで、数多い香りの中で、フレッシュな果実、オレンジの花、バラ、麝香などを感じます。味わいは非常に上品。フルーティーで、甘口で女性向きかなと思いました。

 ラテン語の別の回文をもう一つ見つけました。Roma tibi subito motibus ibit amor.(汝の愛するローマは突然の動乱によって崩壊するならん)。作者聖シドニウス・アポリナリスシドニウスは詩人、聖職者。古代末期5世紀中頃、古典の教養を身につけていた最後の人と言われています。この回文は韻律を踏んだ定型になっていて、古代の教養人がどのような心境であったかと思いを馳せています。

出典
フリー百科事典「ウィキペディア」
「ギリシャ・ローマ名言集」柳沼重剛(岩波文庫)


18. 日本の大学建物とラテン語


 慶応義塾大学三田キャンパスの東館東西両側のアーケード入口上部のペンマークの下には、福沢諭吉の名句「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」を意味するラテン語、HOMO NEC VLLVS CVIQVAM PRAEPOSITVS NEC SVBDITVS CREATVRが記されています(図16)。直訳すると、「いかなる人もある者の上につくられてはいないし、いかなる人もある者の下につくられてはいない。」となり、日本語の「天」がもつ語感を表すため、受身の形かつ否定により表現されているそうです。

 一方、早稲田大学演劇博物館は坪内逍遙の発案で、エリザベス朝時代、16世紀イギリスの劇場「フォーチュン座」を模して今井兼次らにより設計されました。正面舞台にある張り出しは舞台になっており、入り口はその左右にあり、図書閲覧室は楽屋、舞台を囲むようにある両翼は桟敷席になり、建物前の広場は一般席となります。このように演劇博物館の建物自体が、ひとつの劇場資料となっています。舞台正面にはTotus Mundus Agit Histrionem(全世界は劇場なり)というラテン語が掲げられています。

 また、早稲田大学中央図書館の玄関には、QUAE SIT SAPIENTIA DISCE LEGENDO(知恵の何たるかを読むことによって学べ)と彫られています。

 首都大学東京の図書館には、VERITAS VOS LIBERABIT(真実はあなた方を自由にする) と大書されています。いずれも、知識や文化・芸術に対する重厚さを感じとることができます。

 白百合女子大学では、施設にラテン語の愛称があります。学生食堂「ステラ・マリス」は海の星という意味、購買部「アミカピア」は愛情深い友人という意味、学生ホール「フォンス・ヴィーテ」は生命の泉の意味です。

出典
慶応義塾大学三田キャンパス
早稲田大学演劇博物館
早稲田大学中央図書館
白百合女子大学 キャンパスライフ


19. コスモスとカオス


 コスモスと聞いて初めに思い浮かぶ歌は、1977年に発表されたさだまさし作詞作曲、山口百恵が歌った楽曲「秋桜」ではないでしょうか。もともとコスモスはメキシコ原産の外来種であり、和名は「秋桜」で、「あきざくら」と読み、秋の季語にもなっています(図17)。花言葉は「調和」「謙虚」「美麗」。群生が似合う花に似つかわしい花言葉です。さだまさしは、曲のタイトルや歌詞の中で、「秋桜」を「コスモス」と読ませました。当時の歌謡曲では、キーワードとなる漢字を違う読み方で読ませるのが流行していて、「運命」と書いて「さだめ」などが代表的表現です。今や、「秋桜」と表記しての「コスモス」は図鑑や難読漢字にも取り入れられるほどで、歌の世界から抜け出し、ほぼ一般化し市民権を得ています。

 さて、「コスモス」はギリシャ語の「宇宙」の「秩序」を意味し、ラテン語で星座の世界=秩序をもつ完結した世界体系としての宇宙のことを示します。対義語は、「カオス(ケイオス)」混沌です。元々、宇宙(コスモス)が成立する以前の秩序なき状態を意味する語でした。従って、宇宙を、統一された調和のとれたシステムととらえるときに、「コスモス」という使い方をします。

 宇宙は「コスモス」以外にも、「スペース」や「ユニバース」ともよばれます。「スペース」は、空間としての宇宙、「ユニバース」は、観測できるすべてを含めた宇宙を表します。「コスモス」という呼び方は、思想的・哲学的なニュアンスも含まれます。ちなみに、カオスまたはケイオスとは、「混沌」を意味する語で、無秩序で、さまざまな要素が入り乱れ、一貫性が見出せない、ごちゃごちゃした状況・様相を形容する表現として用いられます。また、人の集団において、統率者がおらず、集まった人が皆それぞれ自己主張して好き勝手に振る舞っているような状況も「カオス」と形容されます。力学の分野では、初期値の極めて微少な誤差が増幅され結果値を乱雑なものにするため、値の予測が事実上不可能であるような条件を扱う理論を「カオス理論」(chaos theory)というそうです。

出典
柴山ロミオ
国営ひたち海浜公園HP みはらしの丘


20. 東洋と西洋


 東洋はオリエントで、オリエント急行、オリエンタルホテルなど、日本人にも親しまれている外来語です。オリエントorientは、昇るを意味するラテン語の動詞oriorの現在分詞oriensに由来する言葉です。ここで「昇る」のは「太陽」であり、太陽が昇る方向ということから「東」となります。興味あることに、新学期にはオリエンテーションが行われますが、英語のorientationは「方向付ける」を意味するorientateを名詞化した言葉で、これもOrientから由来しているそうです。

 一方、東洋のthe Orientに対して、西洋はthe Occidentになります。ラテン語のoccidere(倒れる、消え去る) から、occidensに変化し、これもまた、「太陽が沈む方向」の意味で「西」を示します。

出典
石井米雄「英語の語源」(角川文庫)

*この出典本について紹介させていただきます。石井米雄先生は、外務省に入省後、京大東南アジア研究センター教授、同所長、上智大教授、さらに神田外国語大学学長や名誉教授を歴任されています。大学学長在職中から8年間にわたり大学のHPに、エッセイ「語源の楽しみ」を連載し、2011年、「英語の楽しみ」を刊行、2018年に文庫化されています。各セクションが1-2ページでまとめられ、脚注も的確ですので、大変読みやすい書物です。再構成を担当された先生方に敬意を表します。本書によって、私は、英語の語源にラテン語が使用されることの多さに驚き、意外な言葉同士が実は共通の語源であったことに興味が膨らみました。


21. Pater:父なるもの


 キリスト教信仰において、その中心にある大切な教理は、Trinitatis(三位一体)です。この言葉自体は、聖書にはありませんが、聖書が明らかに伝えている信仰内容です。「三位一体」とは、聖書に啓示されている神は、「父なる神」(PATER est DEUS)、「子なるキリスト」(FILIUS est DEUS)、「聖霊」(SPIRITUS SANCTUS) という三つの位格を持つ、「唯一の神」であるということです。

 英語のFatherは、ラテン語pater(父)が語源です。patriot(愛国者)、パトロンも「父のように面倒を見てくれる人」の意味です。また、パターンpattern(英語)は,型、模様、型紙などを意味しますが、「カンタベリー物語」を記した14世紀の英国の詩人チョーサーはこの言葉を「お手本となるもの」の意味で使いました。Patternの語源もラテン語のpaterだそうです。当時、家庭において、父は子供たちの模範となるべきと想定されますが、現代人には考えさせられます。

出典
石井米雄「英語の語源」(角川文庫)


22. ジギタリス


 ジギタリスとは、オオバコ科ジギタリス属(キツネノテブクロ属、学名:Digitalis)の総称。狭義では、ジギタリス属の特定の種(Digitalis purpurea)を指します。地中海沿岸を中心に中央アジアから北アフリカ、ヨーロッパに20種あまりが分布しています。一・二年草、多年草のほか、低木もあります。園芸用に数種が栽培されているが、一般にジギタリスとして薬用または観賞用に栽培されているのは、Digitalis purpurea種です(図18)

 西洋では暗く寂れた場所に繁茂し不吉な植物としてのイメージがある植物とされています。医療においては、ジギタリスの葉を温風乾燥したものを原料としてジギトキシン、ジゴキシン、ラナトシドCなどの強心配糖体を抽出していましたが、今日では化学的に合成されます。古代から切り傷や打ち身に対して薬として使われていました。1776年、英国のウィリアム・ウィザリングが強心剤としての薬効を発表して以来、うっ血性心不全の特効薬としても使用されています。以前は日本薬局方にDigitalis purpureaを基原とする生薬が「ジギタリス」「ジギタリス末」として医薬品各条に収載されていましたが、第14改正日本薬局方第二追補(2005年1月)でともに削除されました。ジギタリスには全草に猛毒があり観賞用に栽培する際には取り扱いに注意が必要です。ジギタリス中毒とも呼ばれる副作用として、不整脈や動悸などの循環器症状、嘔気・嘔吐などの消化器症状、頭痛・眩暈などの神経症状、視野が黄色く映る症状(黄視症)などがあります。ゴッホが「ひまわり (絵画)」などで鮮やかな黄色を表現したのは、ジギタリス薬剤の服用による副作用だったのではないかという説もあります。晩年の作品「医師ガシェの肖像」にはジギタリスが描かれているそうです。

学名のDigitalis(ディギターリス)はラテン語digitus(指)に由来しています。これは花の形が指サックに似ているためです。数字のdigitやコンピューター用語のデジタル(英語:digital)と語源は同じです。

出典
市川董一郎、栗田貞多男「信州・薬草の花」(クリエイティブセンター)
石井米雄「英語の語源」(角川文庫)


23. カーナビ


 カーナビはカーナビゲーションの略で、今では多くの車に装備されています。カーナビは、自車の位置を知ることと、自車の位置を基に目的地への道案内をするのが主な機能で、自車位置を知る仕組みとしては、GPS衛星などからの位置情報が基本です。最近はスマートフォンの機能にも含まれるようになっています。

 このnavigationの語源は、ラテン語のnavi(船)が由来で、英語のnavyは海軍の意味です。Navigation chartは、「海図」だけでなく、飛行機の「空路図」も指します。Naviは当初、川や海に関連したものでしたが、意味が拡大し、自動車など陸上を走るものにも使われるようになったそうです。Navigatorを『三省堂 大辞林 第三版』で調べると、@ 航法士。航海士。 A 自動車のラリーで速度や方向を指示する同乗者。と記載されています。

 さて、港町である横浜市中区に「ナビオス横浜」という名のホテルがあります(図19)。「横浜国際船員センター」とも呼ばれ、日本船員厚生協会が運営する船員・海事関係者のための福利厚生施設ですが、一般の人も利用できます。このナビオス(NAVIOS)という名前の由来は一般公募によって名づけられた造語だそうです。つまり、ラテン語naviから派生したポルトガル語の船(NAVIO)と英語のオアシス(OASIS)から造られた言葉で「船乗りたちの憩いの場」という願いが込められているそうです。

出典
石井米雄「英語の語源」(角川文庫)
ナビオス横浜HP


24. 水


 Aqua(アクア) は水を意味するラテン語ですが、現代では世界的に様々なものに関連し、命名され、また日本語としても通用しています。世界的には、人工衛星AquaはNASA、NASDAなどの機関が共同して打ち上げた地球観測衛星で、コンピューターAquaはMac OS X v10.0からMac OS X v10.4にかけてのグラフィカルユーザインタフェースの総称です。シカゴにはアクアという名前の超高層ビルがあります。また、英国には、Aquascutumというレインコートのメーカーは有名で、ブランド名は、aquaと「盾」を表すラテン語「scutum」の2語を組み合わせた造語で、「防水」を意味します。

 日本にも、アクアというトヨタ自動車の小型ハイブリッドカーがあり、アクアというハイアールが日本で展開する家電ブランド名もあります。施設名としては、アクア木更津やアクア広島センター街があり、いずれもアクアと通称されています。

 一般的には、アクアブルーといえば水色のことです。Aquaから派生した英語には、Aquarium (水族館) や、Aquarius (水瓶座) などがあります。また、イタリア語では、ナポリ料理の定番:アクアパッツァ (acqua pazza) があり、これは、ブイヨンなどの出汁を使わず、水やトマト、白ワインなどで魚を煮込んだスープ料理です。パッツアは「奇妙な、狂った、暴れる」という意味があり、油に水を入れて料理するときに水が撥ねることが由来とされています。

 一方、ギリシャ語で「水」を意味する語はHydroですが、これもまた現代に広く派生しています。Hydro Flask (ハイドロフラスク) は、アメリカ・オレゴン州で設立され、全断熱ボトルで脚光を浴び、現在はアメリカのスポーツ・アウトドアのボトル市場の第1位のシェアのブランドです。また、水素ガス吸入は厚労省で「先進医療B」として認可されましたが、水素ガス吸入器は「Hydro-Breath U」という名前がついています。さらに、ハイドロテック(HYDRO-TECH)は、防水・防滑がテーマのチヨダオリジナルブランドシューズです。

出典
石井米雄「英語の語源」(角川文庫)


25. バッハ作品とラテン語


 クラシック音楽はあまり馴染んでいませんが、私が学生の頃、今はなき新宿の喫茶「スカラ座」でバッハを聞いていたことを覚えています。チェンバロやピアノに乗せたゆっくりテンポのバロック音楽は心の底に沁みました。キリスト教カトリックの典礼で用いられる言葉はラテン語です。「音楽の父」であるバッハはドイツ人ですが、神や教会に対する敬虔を曲に表しているので、バッハについてラテン語に関連した事柄はあるのではと常々気に留めていました。

 キリスト教関連の音楽の歌詞は当然ラテン語で、祈りの句:Kyrie eleison とか、教会成句:Gloria in excelsis Deo などは、多くの楽曲にみられます。しかし、バッハのカンタータは、なんとドイツ語です。やはり、ドイツの神学者、聖職者であるマルチン・ルターはローマ・カトリック教会から分離しプロテスタントが誕生した宗教改革の中心人物ですが、キリスト教をより民衆の身近にするために、人々が最も理解しやすい母国語を使い、説きました。プロテスタントであったバッハは、自らのライフワークであった「整備された教会音楽」、つまり膨大なカンタータをドイツ語を用いて実現したわけです。

 ドイツ語カンタータが多いのですが、横浜のあすなろクリニック院長の宗定 伸 先生によれば、実はバッハの作曲した曲にラテン語歌詞のものが含まれているとのことです。ラテン語作品は、バッハの最後の作品とされる、いわゆるロ短調ミサ曲 BWV232、そしてマニフィカトBWV243が有名で、それ以外に小ミサ曲と呼ばれるものが4つ (BWV233〜236) あるとのことです。そして意外なことにカンタータに含まれる BWV191 が、なんとタイトルが Gloria excelsis Deo そのものでした。

 バロック初期にはリチェルカーレ、ファンタジアなど様々な対位法的な器楽曲が存在しましたが、後にそれらは一括してフーガと呼ばれるようになったそうです。また前奏曲やトッカータなど即興的作品の一部として挿入されていた対位法的な部分が次第に拡大され、1つの楽章として確立したものもフーガと呼ばれるようになりました。バッハ作品では、『平均律クラヴィーア曲集』第1、2巻 - 長短24調による全48曲の前奏曲とフーガ、「フーガの技法」が代表的です。このフーガとは、「逃げる」意のラテン語、fugereに由来しています。

* Gloria in excelsis Deo (グロリア・イン・エクチェルシス・デオ) とは、『天のいと高きところには神に栄光あれ』を意味する教会ラテン語成句。

出典
あすなろ整形外科クリニック